<センバツ・平成の名場面>町立校初陣 小規模校が夢の大舞台に 第65回 浜松商vs知内 センバツ平成の名場面
甲子園に春夏を通じて初めて町立校として出場したのが、1993(平成5)年の第65回大会に北海道から出場した知内(しりうち)町立の知内だった。当時、全校生徒わずか242人(うち女子102人)の小さな学校が大きな夢をつかんだ。 【センバツを彩った歴代応援イメージキャラクター】 函館から車で南西へ約1時間。歌手の北島三郎さんの出身地としても知られる、津軽海峡に面した人口約6700人(当時)の過疎の町に出場決定の報が届いたのは同年2月1日。北の空に5発の花火が打ち上げられた。 定時制農業科高だった同校が全日制普通科高に替わった81(昭和56)年に野球部が誕生。元来、野球が盛んな土地柄とあって、自治体は町おこしの一環として野球部の強化に乗り出した。町は専用球場の整備や遠征費、備品代を全額負担するなどの支援をした。 89(平成元)年に山本鉄弥監督が就任してから力をつけ、92(平成4)年秋の北海道大会で準優勝。優勝した駒大岩見沢とともにセンバツ切符を手にした。山本監督は「甲子園は月より遠いところだった」と語ったという。 甲子園では開会式直後の開幕試合に登場。森山真弓文相が女性初の始球式を行った後、浜松商(静岡)と対戦し、3―6で敗れた。序盤は失策により失点を重ねたが、後半には3併殺を記録。攻撃では五回に3点を挙げるなど、相手を上回る10安打を放ち、健闘した。 ▽1回戦 浜松商 113010000=6 000030000=3 知内