想田和弘監督「野良猫が歩けない社会が幸せなのか」 NYから移住した牛窓で葛藤
これまでの想田作品と違い、本作では想田監督および柏木プロデューサーも登場人物としてスクリーンに映し出される。その変化については「自然の成り行きですね」とのこと。「妻が避妊去勢手術の活動に関わっていたので、そこでカメラを回すと面白いかもしれないと思ったんです。その時は特に明確に映画にしようという意図はなかったんですが、そういうこともあって妻が登場人物の一人となったんです」と説明。「そしてここでは、猫を通した人間社会を観察しているつもりです。わたしたちも、その一人になったということです。そして観察の対象であるその社会の一員に自分たちもなったわけなので、自分を除外するわけにはいかない。これが僕が観察することの哲学と一致するんです」と続ける。
さらに「これはいつも言っていることですが、観察することは参与観察するということ。自分が撮影する時には、撮影する行為によってその状況が変わる。つまりは自分の存在によって変えられた世界しか観察することができない。それは自分が参与している世界を観察しているのであって、自分もその一部となるわけです」と自身の“観察映画”のスタイルに触れると「さらに言うならば、撮る方と登場する人物の関係を描くことによって、よりダイナミックなものが撮れると思います」と自身が登場することでの効果を語った。
それぞれの野良猫に名前がついていることを良しとする人たちがいる一方で、その猫の名前には興味が無い人たちもいる。そうしたことについて質問を受けた想田監督は、「それは人間も同じ事だと思うんですよね」とコメント。「一人一人の名前を認識できるのならば相手に敬意を払うし、大事に扱うと思う。ですが、そういった一人一人をグループとしてしか見られないのならば顔のない集団として扱うこととなってしまう。それは相手が猫であっても同じ事」と猫の世界も、人間の世界も同じ事であると指摘し、「わたしの映画監督としての責務は、映画に登場する生きとし生けるものに顔を与えることだと思っています」と映画監督としての矜持を語った。(取材・文:壬生智裕)
映画『五香宮の猫』は10月19日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開