根こそぎ奪われた“300年の伝統” 福島の窯元が抱く憤り─「1%でもいいから」響け再建の音 #知り続ける
福島中央テレビ
自分で数えて九代目。300年以上守ってきた伝統の窯(かま)だった。 長男も後を継ぐべく戻ってきて、伝統を伝えていく予定だった。 「原発の爆発前で2、3日くらいの避難かなという気持ちで、着の身着のまま家を出たんだ」 そのまま窯の灯をともせなくなるなんて、思いもしなかった。
近藤学さん(70)は、原発事故により帰還困難区域に指定されていた福島県浪江町大堀地区に伝わる大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)の窯元・陶吉郎窯(とうきちろうがま)の当主だ。避難先でも工房を構え、作陶を続けてきた。やれることはやってきた。ただずっと、割り切れない思いがあった。 自分は作家ではなく、伝統の継承をする者なのに―。 あれから13年となるこの春、故郷で再建ののろしを上げる。この地で焼きたいものがある。この地で、響かせたい音がある。
原発事故によって突然失われた伝統
静かな工房に響く、ピーン、ピーンという不思議な音。 「貫入音(かんにゅうおん)っていうんだ。焼きあがって窯から出して外気に触れることで『ひび』が入るんだ」 「伝統の音」について教えてくれるその口調は、優しくもあるが、芯の強さを感じさせる厳しさもある。焼き物にひびが入っては失敗と思われがちだが、大堀相馬焼はこの独特な「ひび割れ模様」が特徴である。「粘土」と表面を覆う「釉薬」の収縮率の差からできる器全体を覆うひび割れ模様は「青ひび」と呼ばれ、贈り物や縁起物としても親しまれてきた。
その起源は江戸時代中期の元禄3年(1690年)とされ、多い時には100戸を超える窯元が存在した。国の伝統的工芸品の指定も受け、伝統は300年以上にわたり受け継がれてきた。しかし、2011年3月11日を境に、この地での伝統は途絶えざるを得なかった。 原発が水素爆発を起こし、放射性物質が飛散した。原発から北西約10キロに位置する大堀地区は、放射線量が高く人が住むことが制限される帰還困難区域に指定された。近藤さんの陶吉郎窯を含む20数軒あった窯元も、この地での作陶をあきらめることになった。 「『大堀』相馬焼なので、その土地を離れるということは致命傷。原子力災害はとんでもない。形のあるものはもちろん、形のない伝統や歴史までも根こそぎ奪われてしまったことが悔しい」