日本の国会 過去の「ねじれ」を見る
衆議院と参議院で多数派が異なる「ねじれ」。竹中治堅氏の「参議院とは何か」によると、日本の国会がねじれ状態になったのは、戦後以降、現在も含めて計5回だといいます。過去の「ねじれ」国会を見ていきましょう。 日本で最初にねじれ状態が出現したのは、第1回参議院選が行われた1947年から、1955年の保守合同後に誕生した第3次鳩山内閣の末期ごろまでの約10年間です。初期の参議院では、政党色を持たない無所属議員らで結成された緑風会が多数を占めていました。その間の片山、芦田、吉田、鳩山首相は重要法案を成立させるのに苦労しました。 その次に「ねじれ」が生まれたのは、消費税反対を掲げ、「おたかさんブーム」に乗って社会党が大勝した1989年の参議院選の後。自民党が過半数割れし、国会に本格的な「ねじれ」状態が生じることになりました。その後、1993年の細川連立内閣誕生まで「ねじれ」が続きました。 3回目は、当時の橋本首相率いる自民党が大敗した1998年の参議院選の後。橋本氏の後を受けて誕生した小渕内閣は、金融再生法案をめぐり、野党案を丸のみして成立させなければなりませんでした。その後、自民党は1999年に自由党、公明党と相次いで連立を組み、参議院の過半数を確保しました。 4回目は、第1次安倍内閣時代の自民党が敗北した2007年の参議院選の後。民主党に参議院第1党の座を明け渡すと、次の福田内閣では、野党の同意が得られずに日銀総裁の空位が3週間続いたり、ガソリンの暫定税率を衆院再可決で復活させるなど、苦しい国会運営を強いられました。さらに当時としては現行憲法下で初となる首相に対する問責決議も可決されました。 「ねじれ」は2009年の民主党による政権交代で解消されました。しかし2010年の参議院選で、当時の菅首相が代表だった民主党は敗北し、再びねじれ国会に。2012年の衆議院選で自民党が政権奪還した後も、参議院では与党の自公両党で過半数が確保できていないため、ねじれ状態は続いています。