日本初の「地下鉄道」 実は仙台に 区間はわずか130メートル
日本初の地下鉄は1927年に開業した現在の東京メトロ銀座線(上野―浅草)とされている。しかしその2年前に、わずかな区間ながら地下を走る鉄道が日本で初めて、仙台市に開業したことはあまり知られていない。JR仙石線の前身である宮城電気鉄道(宮電)の仙台駅と、そこから東に約130メートルの区間だ。 「宮電は将来のことを考えて初期投資をしっかりとしていました」。宮城県の鉄道史に詳しい宮城野鉄道研究会代表の佐藤茂さんが、現在の仙台駅東口付近を歩きながら、地下路線のあった場所を教えてくれた。宮電仙台駅は現在の仙台駅西口にある仙台パルコの辺りから、東口側にかけての地下にあった。商業施設や雑居ビルが建ち並ぶエリアだ。 宮電は25年6月に仙台―塩釜(現西塩釜)が開業し、28年に終点の石巻まで開通した。元仙台市交通局参事の佐藤悳(いさお)氏は、87年3月発行の雑誌「鉄道ピクトリアル」への寄稿で、宮電の設備について「何から何まで地方としては破格だった」「将来の発展性に柔軟に対応しうる規格・施設の形態を当初から採用することの有用さをこの鉄道から学んだ」と振り返っている。 地下の仙台駅はその最たる例だった。宮電は当初、東北本線仙台駅東口側の東七番丁駅を終点とする計画だった。だが米国人技師の助言を受け、繁華街に近い西口側に終点があった方が利便性が高いことや、市中心部に向けた将来の延伸の可能性を考え、計画段階で終点とされた東七番丁駅(後の仙台東口駅、52年に廃止)から先を地下路線として仙台駅まで線路を敷くことにした。 仙台駅の掘削は24年5月に始まった。つるはしとスコップを使って人力で掘り進んだが、残り約50メートルの地点で固い岩が現れて作業は停滞。ダイナマイトを使い、当初の予定より2カ月遅れの25年2月に掘り終えた。 ホームの天井は薄いオレンジ色に塗られた4連続のアーチ状の柱で支えられ、ホームから続くコンコースの壁面は若草色で明るい雰囲気だった。45年7月の仙台空襲の際は防空壕(ごう)の役目を果たした。 宮電は戦時中に国有化され、52年には国民体育大会の開催に合わせて、仙台駅の仙石線ホームが東北本線東側の地上に移設された。地下ホームは新しい仙石線ホームと東北本線仙台駅方面を結ぶ通路に転用された。 2000年、仙石線仙台駅は再び地下化され、同時に西に延伸されてあおば通駅が開業した。旧地下ホームへと続く東北本線仙台駅の階段は、今はフェンスで塞がれて一般の客は入れない。宮城野鉄道研究会代表の佐藤さんは「再度の地下化と延伸で、仙石線は宮電の本来の理念に近づいた」と意義を語る。【小川祐希】