ラッパー・OMSBの愛読書3冊──「ミュージシャンの本棚」第8回
ミュージシャンの愛読書を聞くことで、その創作世界の一端を覗いてみよう。第8回に登場するのは、ヒップホップユニットのSIMI LABに所属し、ラッパーやプロデューサーとして活動するOMSBだ。 【写真つきの記事を読む】OMSB(オムスビ)の愛読書は?
今年の10月にミニアルバム『喜哀』をリリースし、恵比寿リキッドルームでのワンマンライブが大成功を収めたOMSB。生きていくことの喜びと哀しみに向き合い、作品ごとに成熟してゆく姿を見せる稀代のリリシストでもある彼だが、実は、2016年に映画監督の三宅唱からプレゼントされた1冊を機に読書に熱中するまで、リリックを書くことが苦手だったという。本を読むことで「自分の思うことそれ相応の言葉を得た」というOMSBに、愛読書3冊について語ってもらった。 ■西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』角川文庫、2019年 ──『どうで死ぬ身の一踊り』は、大正期の作家・藤澤清造の歿後弟子を自称し、破滅的な私小説家として知られる西村賢太の第一創作集です。OMSBさんの楽曲「Childish Wu」(『MONKEY』収録、2021年)の中では、「だからどうで死ぬ身で voiceあげ踊れ」とラップされていますね。 OMSB:『Think Good』(2015年)をリリースした後、なかなか思うように活動できないまま5、6年経ってしまい、「もう一回マジで音楽をやろう」と思って作ったのが『MONKEY』というEPでした。ちょうどその頃にこの本を読んだので、西村賢太と自分の心境が重なって、藤澤清造の「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」という言葉が俺にとっても自分を奮い立たせる大事な言葉になりました。 西村賢太は基本的にはクズだと思うんですが、俯瞰視点で書かれているからユーモラスだったり切なかったり、共感する部分がいっぱいあります。何に苛立ったり凹んだりアガったりしたのか、無駄な風景描写がないぶん、感情の動きがすごく伝わってくるんですよね。 『どうで死ぬ身の一踊り』は、西村賢太の背骨といえる「藤澤清造へのリスペクト」が特に前面に出ていて、魅力が集約されていると思います。何も信念のない人がこれを書いても意味がない。墓標を手に入れて家に飾るぐらい気持ちを入れられるものがあるのは幸せなこと。俺も本当にリスペクトする人の位牌とかだったら置いておきたいかも、と思います。 ──『ALONE』(2022年)では、作詞のクレジットがOMSBと本名の「加藤ブランドン」に分けられています。西村賢太が作品内で「北町貫多」の名を使うように、ある種、私小説的な視点を導入されたのかとも想像しました。 OMSB:ラッパーの自分をOMSB、素の自分を加藤ブランドンとして書き分けたのは、降神(おりがみ)のファーストアルバムからヒントを得たんです。でも、たしかに素の自分を書く時は西村賢太みたいに俯瞰した視点で書きたいって思いましたね。西村賢太は自分の感情をあそこまで書けるなら本当は反省しているはずなんだけど、一方でどこか他人事で。二面性と言っていいのかわからないですけど、俺も、普段の自分と曲の中で言っていることがズレたって関係ねえって思ったんです。 西村賢太は、日常の中の絶望と幸福を書いていると思うんですよね。なんでもないことでも「これが一番いい」って実感する瞬間が書かれているというか。 ──「One Room」(『ALONE』収録)は、まさに西村賢太的な「幸福の瞬間」が歌われていると思います。 OMSB:「One Room」はもろに影響を受けたと思いますね。金がなさすぎてデートと言ってもどこにも行けないと思っていたけど、公園でいいんだって。そういうのって当たり前すぎてマジで気づけないんですよね。西村賢太の場合は「この幸せも終わっていくんだな」って思うんですけど(笑)。 なんでもないこととか、ストーリーとは別の要素をしっかり読ませてくれる本に出会った時が一番嬉しいですね。最近は日常から飛躍した答えに行きつく物語よりも、答えを委ねてくれて自分で探せるものの方がいい小説だって思えます。だから、西村賢太は何を読んでもぶっ刺さっちゃう。西村賢太からはひとつの判断基準をもらいました。 ■夢野久作「キチガイ地獄外道祭文」(『ドグラマグラ』角川文庫、1976年) ──「キチガイ地獄外道祭文」は『ドグラマグラ』に挿入される文章のひとつで、精神科医の正木博士が全国を放浪しながら「精神病院はこの世の生き地獄」だと歌った阿呆陀羅経の文句です。 OMSB:音楽でも本でも、それが始まった瞬間に空気が変わるものが好きなんです。『ドグラマグラ』も最初は「うわ、サブカルくせえな」と思っていたんだけど、冒頭の「…………ブウウ──────ンンン」から「ヤバいかも」って思いました。ジョジョっぽいですよね、ずっと「ゴゴゴ」って言ってる(笑)。 ──『ドグラマグラ』は「読むと精神に異常を来たす」などとも言われていますが、読み通していかがでしたか? OMSB:「胎児の夢」や離魂病の話含め、想像でどこまで書けるかという試みだと思いました。読んでいて混乱するけれど、夢野久作節というか、言葉のフックにどんどん引きこまれていく感じがする。気が狂うことはなかったですけど、「キチガイ地獄外道祭文」が一番わけがわからない状態になりましたね。 ──そんな「キチガイ地獄外道祭文」を選んだのはなぜですか? OMSB:「スカラカ、チャカポコ」って阿呆陀羅経のリズムを表現した文言が何度も繰り返されてめちゃくちゃ読みづらいんですけど、妙に納得したんですよね。読みづらいけれど、一回掴んじゃえば同じリズムでずっと読めるのも面白かったです。リズムを裏で取ってビートを当てたらラップになるなと。 「キチガイ地獄外道祭文」には、例えば「色気狂いが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。舞踏狂なら踊りを踊るの。放火狂なら放け火をするのと」と、医者は何かに熱中したり入れこんだりした人の表面だけをみて「○○狂」という病名をつける、ということが書かれているじゃないですか。身内に少しでもおかしい人がいたら世間体を気にして精神病院に入れてしまうとか、まさに地獄のような状況を正木博士が歌っているというのが説得力があるんですよね。 それって現代もあまり変わらなくて、「普通」とか「常識」から外れた人、何かをやらかした人は徹底的に叩かれたり晒されたりするじゃないですか。自分は間違いなく大丈夫、なんて人はひとりもいないのに、変な人がいたらゲラゲラ笑ったり拡散したりするのは、めちゃくちゃキツいなって思います。「キチガイ地獄外道祭文」の行きつく先が現代の姿で、むしろもっと地獄になっているんじゃないかと、特に強く印象に残っています。 ■花村萬月『鬱』双葉文庫、2000年 ──『鬱』は東京都下に住む小説家志望の舞浜響と平河由美枝のふたりの主人公が抱える鬱屈を、過激な暴力衝動・性衝動とともに書く長篇小説です。 OMSB:『ドグラマグラ』と同じで、この本も書き出しの雰囲気がヤバかった。主人公の響がずっと頭の中でしゃべっていて、徐々に神経質でずっとイライラしている奴だってことがわかってくる。かと思ったら、いきなり残酷で非道徳的な行動を取るじゃないですか。でも、その時、彼の頭の中でどんな言葉が渦巻いていたかが説明される。それを読んでいると、自分の倫理観が揺らいでくるんです。 例えば、響が同じアパートに住む女性の赤ん坊を殺したのは、赤ん坊を抱えて世界が我がものかのように振る舞っている母親の姿に苛立ったからですよね。終盤でその理由がいろいろと語られるのですが、響はその女性のことを「『母親』という属性に浸ることで、自分は絶対に安全な場所にいて何をしても許される存在だ」と思い込んでいる、と捉えているんです。 人って基本的にどこかに属することで自分の存在を肯定できるものだと思うんですけど、響はそうしなければ生きていけない現実に苛立っていたんじゃないかなって。ヒップホップやサブカルチャー、ロックとかも同じで、自分もどこかに属してはいるけど、「こういう居心地がいい場所にいていいのかな?」みたいなことはずっと考えてしまうんですよね。もちろん響の考えは納得できない部分もあるけれど、本当に鬱屈としているときの苛立ちはわからなくはない、と思えてくるんです。 ──どこかに属するためには自分ではない姿を演じることが求められ、その抑圧が弱い者への暴力へと転化されるような状況が描かれます。響や由美枝はその構図が見えてしまうからこそ、本当にわかりあえる他者を強く求めてフラストレーションを溜めてしまう。 OMSB:響は他人とは違う強烈な倫理観や価値観を徹底しているように見えるんですが、一方で、自分が暴力を振るわれる側に立った途端に泣いて土下座をしちゃうくらい雑な人間でもあるんですよね。その報われなさに虚しくなる瞬間もあるけれど、この本には響のことが全部書いてある。だから、めちゃくちゃ胸くそが悪いけど、いつのまにか響たちのことが好きになっている、というのがこの小説の面白さだと思います。 ──響はパン工場でアルバイトをしながら小説を書き、大衆に追従したような作品を書いてしまったことを自分で認められずに残酷な結末に向かってしまいます。OMSBさんが「祈り|Welcome Back」で「あぁ 幸せな時も筆は進むもんだな」と歌ったような、自分をありのまま受け入れるような気づきを響は得られなかったんじゃないかと思いました。 OMSB:響の才能も嘘じゃないはずだけど、しっくりくる方法を見つけられなかったんだと思うんですよね。俺が『鬱』を読んだのは、まさに自分の才能に自信を持っていてもそれを証明する術がわからなくなっていたときだったので、他人に嫉妬したり急に惨めな気持ちになったりする響の気持ちがすごくわかります。 響ほど拒絶するわけではないですが、俺もハードな曲と比べて耳障りのいい曲をすごく褒められると悔しく思うことがあるんですよね。もちろん自分でも気に入っているんだけど、誰かの評価に合わせて自分らしくなくなることは避けたいと思ってしまう。 自分がハードな曲を作りたいと思うのは、自分を示したい、価値観をぶっ壊す作品が作りたい!と思っているからで、その意味では響が抱えている衝動や、『鬱』という作品が目指しているところも同じだと思うんですよね。だから、『鬱』はいちばん思い入れがある作品で、自分にとっての“負のバイブル”のような1冊です。 OMSB(オムスビ) Mr. "All Bad" Jordan a.k.a. OMSB。2010年から自身も所属するグループ「SIMI LAB」として活動を開始。グループとして 2枚のアルバムをリリースし、12年にソロとしての1st Album『Mr. “All Bad” Jordan』、15年には2nd Album となる『Think Good』を発表。プロデューサーとしても多数のトラックプロデュースを行ない、19年に新機軸となるシングル「波の歌」を発表。22年5月には、7年ぶりとなるニューアルバム『ALONE』を発表。23年3月には前年6月に開催された、自身初のワンマンライブを収録したライブアルバム『ALONE LIVE』をリリース。10月にはMini Album『喜哀』を発表し、かつてSIMI LABのメンバーとして活動を共にしていたQNとの久々の共作が実現した。 取材と文・杉本航平、写真・松田遼太、編集・横山芙美(GQ)