知られざる「奥京都」の宝 10寺が披露 京都非公開文化財特別公開
秋の京都非公開文化財特別公開(京都古文化保存協会主催、朝日新聞社特別協力)が開かれている。14日からは順次、府北部の10カ寺も公開される。府北部の寺がまとまって参加するのは初めて。魅力あふれた奥京都10カ寺のうち、3カ寺を紹介する。(滝川直広) 【写真】展示予定の絵画を点検する小籔実英住職=2024年10月25日午前10時38分、京都府福知山市観音寺、滝川直広撮影 ■福知山の観音寺 天井支える宮殿 「丹波のあじさい寺」として知られる観音寺(福知山市)は関西花の寺二十五カ所霊場の第1番札所。ふだんは非公開の本堂内部を公開する。 秘仏の本尊、十一面千手千眼観音菩薩(ぼさつ)像を安置する宮殿(くうでん)が内陣にある。宮殿の上部の木組みは天井まで続き、宮殿が天井を支える珍しい構造だ。 天井は、格式の高い建物に使われる折り上げ格天井。その折り上げが二重になっており、格子の中には井桁状の木組みがある。外陣の天井には84枚の百花図も残る。 内陣と外陣の境の欄間には龍や獅子が彫られている。江戸時代後期の1833年、丹波や但馬で活躍した彫物師の6代中井権次が手がけた。 期間中、南北朝時代の1384年に描かれた絹本(けんぽん)著色(ちゃくしょく)十一面千手千眼観世音菩薩像図なども展示する。午前10時と午後2時には小籔実英(こやぶじつえい)住職(73)による説明もある。 ■京丹後の縁城寺 耐え忍ぶ本堂 「いまだに災害から復興できていない寺」 縁城寺(京丹後市峰山町)の今村隆恵(りゅうえ)住職(39)が表現するように本堂の傷みは激しい。 災害の一つ目が1927(昭和2)年の丹後震災。本堂が傾き、仁王門が倒壊。仁王像は下敷きになり、ばらばらになった。応急処置をしたが、今も本堂に仮置きされたままだ。多宝塔は頂部の相輪(そうりん)が折れ、雨漏りするようになった。 二つ目が63(昭和38)年の三八豪雪。瓦と雪の重さで本堂は軒先が下がった。今は軒下に木材をあてがい、何本もの柱で支えている。雨漏りしていた多宝塔は心柱が腐り、雪の重みで上層部が崩れた。今は下層部のみの状態で境内にたつ。 今村住職は5年ほど前、本堂の解体修理の見積もりをした。2億円だった。「今の状況を府民、国民に知ってもらいたい。このまま寺が衰退していくのは日本文化、ひいては国の緩やかな衰退につながる。人生をかけてがんばりたい」 ■舞鶴の多禰寺 普賢菩薩の瞳 10カ寺のうち、最も古い多禰寺(舞鶴市)。寺伝によると、創建は飛鳥時代の587年。 当時、英胡(えいこ)、軽足、土熊を首領とした悪鬼たちが大江山を根城にしていた。用明天皇の第三皇子、麻呂子親王が天皇の命令で悪鬼を討伐。加護を願った仏への感謝として、丹後の7カ寺に薬師如来を1体ずつ奉納した。そのうちの1体を本尊に親王が多禰寺を開いたという。 その本尊、秘仏の薬師瑠璃光如来を開扉する。 宝物殿には高さ3.6メートルの金剛力士像(国重要文化財)がある。鎌倉時代、運慶や快慶に連なる慶派仏師の作とされる。仁王像としては高さ約8.4メートルの東大寺南大門、高さ約5メートルの高野山大門に次ぐ規模という。 本堂の手前には6代中井権次の彫刻がある。左右に置かれているのは、普賢菩薩(ぼさつ)を象徴するゾウ。その目には、本堂側にしか瞳がない。本堂を下りるときに瞳が見えるようになっている。松尾義空(ぎくう)住職(59)は「普賢菩薩さまと目を合わせて帰ってほしいという願いの表れ」と説明する。 ■奥京都国宝(重文)十箇寺巡り霊場会 10カ寺は今春にできた「奥京都国宝(重文)十箇寺巡り霊場会」に属する。会の旗振り役、観音寺の小籔実英住職によると、会の目的の一つは文化財保存費用の捻出だ。防犯や防災にも費用がかかり、特別公開への参加は費用調達の面もある。 京都市内のオーバーツーリズムの緩和もめざす。小籔住職は「府北部に足を延ばし、拝観、食事、お土産も買ってもらい、活性化に貢献してほしい」と期待する。 3カ寺のほかに参加する寺院は天寧寺(福知山市)、安国寺、光明寺、正暦寺(以上綾部市)、松尾寺、金剛院(以上舞鶴市)、智恩寺(宮津市)。天寧寺、縁城寺、智恩寺はグループ拝観。縁城寺と智恩寺は京都古文化保存協会(075・451・3313)に要予約。拝観料は1カ寺800円。 府北部では今回の特別公開に浦嶋神社(伊根町)も参加し、14日まで公開している。詳細は京都古文化保存協会ホームページ(http://www.kobunka.com/)。
朝日新聞社