なぜ日本の「国語の教科書」に外国文学作品が載っているのか?
<日本文学作品以上に「国民的」な読み物として世代を超えて人々の記憶に刻まれつづけてきた、外国文学作品と国語の教科書の歴史について>【秋草俊一郎(日本大学大学院総合社会情報研究科准教授)】
■すべては翻訳だった? 維新後、欧米に伍することを目指した明治政府はそれを模した教育制度を整えようとした。そのため使われた教科書も、当初は外国の教科書をかなりの程度直訳した翻訳教科書だった。 【写真】「ふか」挿絵 文部省編『尋常小学国語読本 巻十一』より 国語教育もその例に漏れず、大きなウェイトを占めていた「読本」もアメリカのリーダーを翻訳したものが広く普及していた。つまり、もとをただせば私たちの「国語」とは翻訳という型によって決められたという面が多々あるということだ。 また、英語の教本も初期は外国のリーダーがそのまま用いられた。そうして見ると、国語と英語、まったくちがうものというわけではなく、西洋に接触した日本が、近代化のために導入した言語科目だったとも言える。 なお(あまり指摘されないことだが)国語と英語では過去、同じ(文学)教材が使用されていたケースもままある。教育効果の高い教材なら、言語の種類を問わず採用したくなるのが人情だろう。 『教科書の中の世界文学――消えた作品・残った作品25選』(共著、三省堂)は、戦後の検定国語教科書に採用された外国文学作品を時代ごとに、現在からさかのぼるかたちでまとめたアンソロジーだ。 そこでは主に戦後の外国文学教材が紹介されているが、ここでは、そこに至るまで、戦前の翻訳教材や外国文学教材について概観してみたい。 ■外国文学教材のはじまり 揺り戻しはあるものの、明治期の教育や教科書は西洋の教育や教科書の影響を強く受けていた。読本では、西洋の偉人の伝記(立志伝)や世界の歴史や地理についての啓蒙的な内容のものがよく用いられていた。 こういった初期の読本にも物語(フィクション)が収められており、その後長く用いられるようになったものもあるが、やはり読み物教材という面持ちであって、「外国文学作品」と言えるような作品性、作者性が発揮されているものは少ない。 明治期の文学教材のなかでも戦後にも連続性がうかがえるものをしめそう。ドイツの教科書を参考にしたと言われる官版読本である、文部省編集局編による『尋常小学読本』(明治20年)には「ろびんそん くるうそうの昔話」が収録されている。 これはもちろんイギリスの作家ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の抄訳である。なお『ロビンソン・クルーソー』は戦後も国語だけでなく、英語の教科書でも教材として用いられた。 この『尋常小学読本』では、絶海の孤島に流れ着いたくるうそうは、「野蛮人」を鉄砲で撃ち殺したりするが、こういった描写や植民地主義は当然ながら戦後の教科書では批判されていくことになる。 明治の検定教科書である坪内雄蔵(逍遙)編の冨山房『国語読本 尋常小学校用』『国語読本 高等小学校用』(明治33年)は評価の高かった読本だが、翻訳教材を多数収録していることでも知られている。 たとえば『尋常小学校用』には「ふか」という読み物が掲載されている。南洋での航海中、遊泳している息子に迫るさめを大砲で撃退する水夫の話だが、これはトルストイ原作だ。 「ふか」は第一期国定教科書(明治36年~)、第三期国定教科書(大正7年~)でも用いられ、戦後の検定国語教科書でも使用例がある。 同『高等小学校用』には「おしん物語」(「シンデレラ」)やデ・アミーチス原作の「盲唖学校」(「耳の聞こえない女の子」)も収録されていた。 とはいえ「ふか」もふくめ、それぞれもとはロシアやイタリアの作品ながら、英語のリーダーを経て訳出されたものであり、読本には原作者名も記載されていない。 また「おしん物語」では「シンデレラ」は「おしん」に、「盲唖学校」では、「耳の聞こえない女の子」である「ジージャ」が「お徳」になるなど、猛烈に同化されていた。 こうした例が示すように、この時期の外国文学教材は外国のリーダー経由の翻案読み物だった。 ■「定番」外国文学教材の誕生 大正10年ごろから、論争を経て文学教育が評価されるようになると、数多くの文学作品が教科書や副読本に取り入れられるようになった。その流れの中で外国文学作品も教材として採用されていく。 もちろん、昭和10年代以降、戦時色が強まると外国文学作品は採用されにくくなってしまうが、それまでに繰り返し、何種類の教科書に掲載される「定番」と言ってもいいようなものも出現している。 ランキングをつくってみるならどうだろう。戦後も根強い人気を誇ったドーデ「最後の授業」や、第三期、第四期(昭和8年~)国定教科書に掲載されたシェイクスピア「リア王」も捨てがたい。 しかし、歴史、つかわれ方、普及度などから判断するなら、やはりシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の「アントニーの演説」と『ヴェニスの商人』の「法廷の場」、およびユーゴー『レ・ミゼラブル』(『ああ無情』)の「銀の燭台」がベストスリーを占めるのではないか。 これら三種の教材を、「外国名作文学三大教材」と呼んでみたい。こうした教材は多くの場合訳者名も明記されており、坪内逍遥や黒岩涙香(のちに豊島与志雄に切り替わっていく)の「名調子」が評価されての採録であることがわかる。