新居浜太鼓祭り スゴ技はこう生まれた!寄せ太鼓の謎【後編】成功支えた連帯 川西、川東は「もたせあい」!?
新居浜太鼓祭りは、いよいよ16日に開幕です(大生院地区は15日~)。前編に続いて、上部地区のかきくらべで名高い「寄せ太鼓」を深掘りします。 難度の高い技のルーツを探ると、隣の西条祭りと関係があることが分かりました。そこには地域や神社というくくりを超えた連帯も垣間見えました。 昭和の終わり、新居浜市の西端から起きた“さざ波”が、市内一の規模を誇る山根のかきくらべで、大きな波を巻き起こすまでには、まだしばらく時間を要します。 ■交流から3年後、境内で成功 中萩地区の岸之下太鼓台が、大生院地区の下本郷太鼓台のかきくらべ場所を訪問するようになった1988年を機に、岸之下側にも、大生院地区で行われている寄せがきをしてみようという機運が高まります。 舞台は萩岡神社(新居浜市萩生)=中萩地区=の境内に移ります。岸之下は同じ氏子である萩生西と寄せがきを試みますが、かき棒を横に密着させることができず、なかなか成功しません。 3トンに及ぶ巨体を載せたかき棒を合わせる瞬間は強い衝撃があり、挟まれる危険も伴います。恐怖感が先行しても仕方ありません。 下本郷太鼓台運営委員会相談役の大隅佳史さん(61)=大生院地区=は、当時の詳細を覚えていました。 宮入りの助っ人として来ていた下本郷のかき手が加勢し、岸之下、萩生西双方と合わせて300人を超える力が、2台の太鼓台を寄せるためにせめぎ合っていました。 「近づいた時にどうしても怖くて止めてしまうんよ。そこを下本郷のかき手が外側から押した。『押せ!真ん中(かき棒の間)に入るな、危ないぞ!』言うて。その瞬間、『ダンッ』と音がして当たった、みんな必死でかいて、耐えた!」 地区をまたぐ訪問から3年後の1991年、中萩地区同士の太鼓台は、隣の地区の応援を得て、初の寄せがきを成功させたのです。 ■会場にどよめきと歓声 山根会場で成功するのは、さらに翌年の92年でした。 かき手だった岸之下太鼓台運営委員会相談役の森賀貞和さん(62)は、成功の瞬間を振り返ります。「観衆から地響きのようなどよめきと歓声、割れんばかりの拍手が起きた。感動で涙が出た」。2台はくっついたまま練り歩き、待機場所まで移動。そのパフォーマンスにさらに会場が沸いたそうです。 飯積神社の太鼓台は「寄せがき」と表現していましたが、山根の大舞台で同じ技が浸透していくと、いつしか、太鼓台をぴったり寄せる行為を強調した「寄せ太鼓」というネーミングがちまたに広がります。 こうして中萩の2台から始まった山根の「寄せ太鼓」は、30年以上の歳月を経て、祭り中日の17日、山根グラウンドの目玉のひとつに発展しました。 ■古くは川西、川東も 新居浜市の市史編さん室太鼓祭り専門部会の担当者は「戦前は川西、川東でも『もたせあい』といって寄せがきが行われていたことを示す文献の記述や写真もあるんです」と話します。 思いもよらなかった新事実です。太鼓祭りは大きく上部、川東・川東西部、川西の3地区に分かれています。今は上部だけとされている寄せ太鼓は、古くは全地区で行われていた可能性が出てきました。 寄せ太鼓より歴史の古い寄せがき、そして、もたせあいの発祥については、関係者に聞いても「昔から自然に」などという答えで、解明するまでには至りませんでした。 「寄せがきは、平和運行にも一役買っているのではないか」。関係者のひとことに引きつけられました。 太鼓祭りといえば、けんか、鉢合わせが取り沙汰されます。かき手だけでなく観客に死傷者が出た過去もあり、各運営団体が禁止行為としていますが、ゼロにならない現実もあります。寄せがき、寄せ太鼓で地域を超えた一体感が生まれているのかもしれません。
愛媛新聞社