<上海だより>上海最中心部のファッションエリア、取り壊しのため一斉退去
先日紹介した紹興路の一端から続くのは陝西南路(シャンシーナンルー)という、ファッション系のお店やレストラン、花屋などが並ぶ、上海でも有数のファッションストリートです。この道の歴史は1911年に始まり、同済大学の前身である徳文医学堂があったことからその創設者であるドイツ人の名前にちなんでAvenue Paulunと呼ばれていました。フランス租界の拡張に伴いこの一帯がフランスの統治下になったことと、フランスとドイツが開戦した影響を受けて、1915年にはギリシャ国王アルベール1世にちなみAvenue du Roi Albertと改名されました。その後、1943年フランス租界修了後は一時的に鹹陽路(シエンヤンルー)と改名されましたが、1946年には陝西南路という名前になり、現在に至ります。
この陝西南路と復興中路(フーシンジョンルー)の交差点西南区画はアンティークショップや花屋、雑貨屋などが並び小洒落た感じでしたが、2016年内でこの一帯の取り壊しが決まったようで、最近になりその店舗の多くが閉店、もしくは移転し始め、道に面してレンガが積まれ閉鎖され始めています。かつては、晴れた週末には骨董品や花などを物色するなど、とても華やいだ雰囲気に包まれていましたが、現在は寒々しく物憂げな空気感が漂っています。
近年、上海中心部の租界エリア全体で古い洋館や石庫門の修築事業が進められているのと同時に、歴史建築に該当しないような古い建物の取り壊しが目立ちます。一昨年には夜市で有名だった通北路(トンベイルー)が、昨年には骨董市場で有名だった老西門(ラオシーメン)付近の東台路(ドンタイルー)の一帯が取り壊されました。そして今回はこの陝西南路と復興中路の一帯が着手され始めたのです。租界時代の歴史建築には該当しないものの、それぞれの道にも一定の時間を費やし築き上げてきた歴史と文化があり、それらが取り壊されてしまうのはやはり残念な想いを拭えません。
もちろん、都市の発展において、古いものが壊され新しくなっていくのは日本も中国も変わりません。ただ、鉄道会社や商社などの民間企業による再開発が発展している日本に対して、現状の中国では取り壊し後の再開発にあまり期待ができないのが現状です。以前よりもさらに良くなる都市再開発であればいいのですが、リニューアル後を少し想像するだけでもあまり期待できないことが余計に現状の取り壊しに対する物哀しさを掻き立てるのです。なお、この区画が今後どのように再開発されるのかは、現状公開されていません。