最初はイギリスから送られてきたパーツをイギリス人技師の指導によって組み立てていただけだった日産オースチン
【1959年式 日産オースチン A40 サマーセットサルーン】 1950年代当時、オースチンA40は1000台以上が国内に持ち込まれていたという。英本国では47年から生産を開始し、54年のモデルチェンジまで17万台以上が生産された人気モデル。英国内で大衆車として広まり、海を越えて日本まで浸透していたのだ。 【画像18枚】その性能は国産車を凌ぐもので、価格帯も決して高くなかった。グリルは分割式となっていて、重厚なパーツで構成されている。ステアリングスポークは細いパイプが束ねられて構成されている。スピードメーターはセンターに位置し、水温計などの計器も、周辺にまとめられている そんなクルマのノックダウン生産に挑んだのが日産だった。52年にオースチン部門を擁するBMC社と技術提携契約を結んだことに始まる。 オースチンA40の生産にともなって、生産ラインの確立、自動車パーツ技術の向上などが行われた。これは、のちの国内自動車産業にとって、計り知れない影響力があったといえる。 53年にノックダウン生産1号車が出荷された。最初はイギリスから送られてきたパーツをイギリス人技師の指導によって組み立てていただけ。しかし、その性能は他の国産車を凌ぐもので、価格帯も似ていたことから、絶大な人気を得ることになった。 日産オースチンA40サマーセットサルーン(A40) 全長(mm) 4050 全幅(mm) 1600 全高(mm) 1630 ホイールベース(mm) 2350 車両重量(kg) 1020 エンジン種類 直列4気筒OHV 総排気量(cc) 1197 最高出力(ps/rpm) 42/4500 最大トルク(kg-m/rpm) 8.6/2200 サスペンション前/後 独立懸架コイル式/ 平行半楕円式 ブレーキ前/後 リーディング・トレーリング 初出:ノスタルジックヒーロー 2019年 8月号 Vol.194 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部