バドミントン・大堀彩 津波に飲まれた故郷、“唯一の女子部員”、父の支え…強い思いで初の夢舞台へ。パリオリンピック
7月26日に開幕するパリオリンピック。出場権を得た選手が続々と発表されていますが、バドミントン女子シングルス・トナミ運輸の大堀彩選手もそのひとりです。大堀選手が夢の切符をつかむまでには、震災、“唯一の女子部員”、叶わなかった東京オリンピック出場という長い道のりがありました。 【写真を見る】バドミントン・大堀彩 津波に飲まれた故郷、“唯一の女子部員”、父の支え…強い思いで初の夢舞台へ。パリオリンピック 大堀彩選手: 「バドミントンを始めた当初からの本当に、大きな夢の舞台。ここを目標に、もう最終目的地はここだと思って、ちっちゃい頃からずっとやってきたので。やっとここまで来れたなっていう感じはあります」 喜びを語ったのは、バドミントン女子シングルストナミ運輸所属の大堀彩選手・27歳です。オリンピック出場の内定が出てから初めてメディアに練習を公開しました。 大堀は日本のバドミントン選手の中では珍しい長身・169センチのサウスポー。「攻め」のプレースタイルで、上から振り下ろす角度のあるショットが武器です。 4月のアジア選手権1回戦を突破し、初めてのオリンピックへの切符を掴みました。 大堀彩選手: 「不安とかよりも、どちらかといえば楽しみのほうが大きい。夢の舞台、ようやくここまでたどりついたので、楽しめなかったらもったいないなって」 福島県出身の大堀が富山に拠点を移したきっかけは…。 2011年3月に発生した東日本大震災。大堀選手が暮らしていた街は津波に飲まれました。当時、中学2年生、その日は体育館で練習をしていました。 大堀彩選手: 「その日は1日学校のグラウンドに車もってきて寝て、次の日爆発しちゃったので…」 原発から8キロほどのところで暮らしていましたが、その日のうちに隣町の避難所へ移動。その後、福島県外を転々とし、福島に戻ってきたのは震災の翌年。猪苗代町に機能を移した富岡高校に入学しました。しかし、自宅に帰ることはできません。 大堀彩選手: 「帰られるのなら今すぐにでも帰りたいという気持ちはもちろんあるんですけど…」 これまでのように専用の練習場はありませんが、支えてくれた人のために大堀は戦い続けました。そして、18歳以下の世界一を決める大会で銅メダルを獲得。震災をきっかけに高まる、オリンピックへの思い…。