柴咲コウが演じる大河ドラマ「井伊直虎」ってどんな人?
井伊家を継いだ直親は、今川義元と比べ凡庸な跡取りの今川氏真に失望していたようすだった。そこで出てきたのが、かつて嘘をついて直親の父を殺させた井伊家家老の息子・小野道好だ。この小野道好が、直親が松平元康と内通していると今川氏真に告げる。直親は、弁明をするため氏真のもとに向かう途中、氏真の家臣に暗殺されてしまった。享年28歳だった。 井伊直親には、幼い嫡男・虎松(当時2歳)がいた。虎松は親戚に預けられ成長したが、2年後、その親戚も井伊家の主だった家老たちとともに戦死してしまう。井伊家は、4歳の虎松を残し、まさに存亡の危機に立たされたのだ。
女領主「井伊直虎」誕生と「家康」への接近
そこで、井伊家の一族でもあった和尚が一案を考える。それは、出家して尼になっていた次郎法師を、虎松が成人するまでの間「中継ぎ」として、井伊家の当主に据えるということだ。次郎法師は、名前を男のような「直虎」と改め、井伊家の当主として政治的な才能を発揮し始める。ドラマでは、もしかすると、この時期の直虎が男装の女性として描かれるかもしれない。 当主となった井伊直虎は今川氏真の命令である借金帳消しの徳政令を行わないなど、今川家に反抗する姿勢を見せた。反抗に対して今川家から厳しい処分が下った井伊家は、その後今川家を見限り、徳川家康につくという重大な決断を下す。井伊家に従属する「井伊谷三人衆」が家康の遠江侵攻の案内役を務め、今川家は滅亡し、家康は遠江を手中に収めた。直虎は、没落する今川家を見限り、勃興する家康についたことで、井伊家を守る政治的手腕を発揮したといえる。
徳川四天王「井伊直政」の教育とバトンタッチ
その後井伊家は、徳川家康の配下となり武田信玄と戦い、領地を取られたり取り返したりした。「女地頭」井伊直虎にとって最も大切な仕事は、かつての”いいなずけ”の忘れ形見、「虎松」を教育し、世に送り出し、井伊家のバトンを繋ぐことだった。虎松が15歳になったある日、直虎は虎松が鷹狩りに出かけた家康と出会うように仕組んだ。そこで虎松と出会った家康は、虎松が家康との関係を疑われて殺された井伊直親の息子だと聞き、少年を手厚く召し抱えた。