世界初“双子同時子育て”をした偉大な母も…パンダの「浜家」ファミリーがつないできた命[FRaU]
世界でも中国に次ぐ繁殖数となっているアドベンチャーワールド。繁殖が難しい動物であるにもかかわらず、なぜたくさんのパンダが誕生しているのか。ビッグファミリー「浜家」の歴史をひもとき、その秘密に迫ろう。
「日中共同繁殖研究」スタート。言葉の壁にひと苦労
「パンダたちとの初対面の瞬間を、いまでもよく覚えています。中国・成都までパンダたちを迎えに行ったんです。メスの『蓉浜』は堂々としていましたが、オス『永明』はすみっこで丸くなっていましたね」
30年前をこう振り返るのは、当時、獣医としてパンダを迎えた副園長・中尾建子さん。1994年、ジャイアントパンダでは世界初となるブリーディングローン制度(※)によって「永明」と「蓉浜」のペアが白浜にやってきたのだ。(※動物園や水族館同士で動物を貸したり借りたりする制度のこと) こうしてパークと「成都ジャイアントパンダ繁育研究基地」との共同研究がスタートした。 「2頭を受け入れるにあたり、中国からパンダ飼育の専門家2名が来日し、私たちの飼育をサポートしてくれました。ただ、基本的なコミュニケーションは中国語のみ。日中辞典を買って、パンダの繁殖に関係する資料を読みこみ、専門家と筆談も交えながら教わって、必死に学びました。中国の簡体字を覚え、漢字の印象から意味を推測したり、ピッタリな日本語がなければ英語に置き換えたり。だんだん読めるようにはなったものの、初めてのパンダの繁殖はわからないことだらけでした」(中尾さん)
永明が教えてくれたこと。「竹を食べる」ことの重要性
飼育するなかで一番大変だったことは? そう尋ねると、「お父さんパンダの永明が、すぐにお腹をこわすこと。成長期なのに、なかなか体重が増えなかったんです」と中尾さん。当時は、栄養価がほとんどない竹よりも、もっと栄養の豊富な“パンダ団子”を与えるというのが、中国側からもらった食事のメニュー。しかし、どんなに治療しても永明の胃腸の調子が戻らないため、「もしや食事が悪いのでは?」と疑い始めたそう。 「成都ジャイアントパンダ繁育研究基地に相談し、少しずつ野生のパンダと同じ竹中心の食事にしてみたんです。すると、永明の体調はどんどんよくなりました。それから多種類の竹を準備するようになったんです」