名門三迫ジムを創設した故・三迫仁志氏の“遺言”と輪島功一氏の回顧「畜生!この野郎と」
名門ジム、三迫ボクシングジムの創設者で1日に肺炎で亡くなった元日本プロボクシング協会長の故・三迫仁志氏の通夜が9日、東京品川区の桐ヶ谷斎場で営まれた。ファイティング原田氏、具志堅用高氏、現WBC世界ライトフライ級王者の拳四朗ら新旧の世界王者やボクシング関係者が約300人参列して故人を偲んだ。 喪主は久子夫人で2014年からジムを会長として引き継いでいる長男の貴志氏が施主を務めた。 遺影は優しい眼差しをしていた。式場の片隅には、4年前に功績を称えて表彰されたトロフィーと、世界ランカー、小原佳太らと一緒に映った近影が飾られていた。 故・三迫氏は、高校生プロとして野口ジムからデビュー。明大在学中の1955年に日本フライ級王座、東洋太平洋同級王座を獲得したが、世界挑戦の機会は得ることができず、引退後の1960年に三迫ジムを創設。東京五輪金メダリストの故・桜井孝雄氏を争奪戦の末に獲得したが、世界を獲ることはできなかった。 だが、2度世界王者に返り咲いた元WBC、WBA世界スーパーウェルター級王者、輪島功一氏、元WBA世界スーパーウェルター級王者、三原正氏、元WBC世界ライトフライ級王者、友利正氏の3人の世界王者を誕生させ、フジテレビとタッグを組んで「ダイヤモンドグローブ」という月例興行を行い、テレビ放映を実現するなど、プロモーターとしても尽力、日本プロボクシング協会の会長としてボクシング界の発展に寄与した。 また同ジム出身の輪島氏らが引退後「三迫一門会」として次々とジムを起こし、現在は、この日、通夜に参列した元WBA世界スーパーフライ級王者、セレス小林氏のセレスジムなどの“孫ジム”も誕生しており、プロボクシングの人材育成のための礎にもなった。 施主を務めた現会長である貴志氏は、「長い闘病をすることもなく、後楽園にも顔を出していたのですが急でした。安らかな表情をしています」と、言葉を詰まらせた。 父からの“遺言”は「ボクシングジムは選手が一番、選手のことをまず考えろ」という言葉だったという。