雅子さまが能登半島に届けた慈愛の灯火「絶対に行きたい」被災地訪問、極限の舞台裏
並々ならぬ思いで臨んだ被災地訪問
今回の能登半島地震のお見舞いに関して、皇后雅子さまの意気込みは並々ならぬものがおありだった─。 「今も療養中であり、ご体調が万全ではない雅子さまは、外出を伴う公務の事前公表は基本的に行ってきませんでした。“当日になってからのドタキャンは避けたい”という配慮からだと思います。しかし、今回の石川訪問は“絶対に行きたい”と宮内庁関係者に伝えられていたそうで、報道各社にも事前に“両陛下で訪問される”と発表されたのです。被災者に寄り添いたいという強い思いがおありだったのでしょう」(皇室ジャーナリスト) 分刻みの強行スケジュールとなり、ご体調も懸念される極限状態の中、臨んだ被災地訪問だったが、その思いは確かに被災地に届いていた。 「両陛下とお話しされた方は“大変励みになり、これから頑張ろうという気持ちになった”と感激していました」(前出・輪島市ふれあい健康センター職員、以下同) 震災発生から約2か月半後のご訪問となったが、最良のタイミングだった。 「まだ水道やライフラインの復旧は行き渡っていないですが、少し落ち着いた状況ではあったので、絶妙なタイミングだったと思います。市民の方も私たち職員も疲れが出てきたころだったので、おふたりにお見舞いいただき、大変励みになったと思います」
上皇ご夫妻の“平成流”
政治学者で、天皇や皇室の研究を専門とする明治学院大学名誉教授の原武史さんは、今回の被災地訪問を受け、改めて上皇ご夫妻の“平成流”について振り返る。 「平成の時代は、災害直後に被災地に赴いていました。ただ当初は、“現場が混乱している状況下の中、赴くことはかえって迷惑になるのではないか”という批判もあったのです。そうした批判があるにもかかわらず、被災地訪問を続け、膝をついて一人ひとりに声をかけて回ったのが“平成流”です。 '11年の東日本大震災時にも、“平成流”を貫き、発災5日後にビデオメッセージを送り、その後7週連続で被災者を見舞うなど、積極的に現地に赴きました。その時には、それまであった批判がなくなり、称賛一色になりました」(原教授、以下同) 貫き通した“平成流”に対し、令和皇室はどのようなスタンスなのか。 「令和に代替わりしてからいきなりコロナ禍に陥り、3年くらいは動けない、動かないほうがよいという状況が続き、皇室の方針が大きく変わりました。今回の能登半島地震においても、ボランティアに対して、“現地に入ることを控えてください”と石川県知事が呼びかけるなど、コロナが明けても空気は変わらず、すぐに動くのはかえって迷惑になるという声が再び強まったと思います。そうした背景もあってか、令和の皇室は空気を読んで、様子見をしていたという印象です」 平成での上皇ご夫妻のなさりようを踏襲する一方で、令和皇室における雅子さまの役割とは─。 「皇后自身も療養中なので、適応障害など心の病で悩んでいる人々に対し、励みになる存在になり得ると思います。また外交官出身で英語が堪能なので、国内にいる外国人と直接話すことができる。そういった人たちを訪ねて交流すれば、外国人の施設をほとんど訪問せず、もっぱら国民との関係を強化してきた平成とは異なるスタイルになると思います」 雅子さまなりの“令和流”で、被災地に“慈愛の灯火”を届けたお姿は、国民の目に焼きついたことだろう。 原 武史 明治学院大学名誉教授。専門は日本政治思想史。『昭和天皇』『皇后考』『大正天皇』『戦後政治と温泉』など著書多数