三上博史 伝説のミュージカル“ヘドウィグ”がライブ・バージョンで復活!「ありったけの気力と体力を使って撹乱するつもり」
受験料を稼ぐために始めたバイトで歌を披露
――ところで、めざましmediaは「“好き”でつながる」がコンセプトなのですが、三上さんの好きなものを教えてください。 (しばし悩んでから)鰻、です(笑)。 ――鰻、いいですね。“好き”といえば、歌うことも昔から好きだったのですか? それが小学生のころ、音楽だけ5がとれなかったんです。ちょっと先生に取り入って、最終的にはオール5で卒業しましたけど(笑)。 18歳のとき、進学するかどうかを考えていて、でも、大学の受験料が払えるような状況ではなくて。 その当時バイトをしていた喫茶店のオーナーが近くのサパークラブ、いわゆる小さなホストクラブみたいなお店を紹介してくれて、受験料を稼ぐために短期間働いたんです。 そこにステージがあったので、ギターを持ってきて流しみたいに歌っていました。歌を歌うとチップをくれると思ったから(笑)。仕事明けのきれいなお姉さんたちにジルバとかを教わって、踊ったりもしていましたね。 ――なかなか刺激的な体験をされていたんですね(笑)。 知らない人が多いかもしれませんが、25歳のころは音楽活動をして、全国をツアーで回ったりもしていたんです。映画『私をスキーに連れてって』(1987年)に出演した直後だったから、とにかく「会いたい!」「見たい!」という人たちが多かった。 でも、僕はといえば、(ステージでは)顔を白く塗って素顔も隠して、股間にパットを入れた衣装で、最後まで何もしゃべらずに歌っていました(笑)。 すると、客席の扉がパタンパタンと次々に開いて、お客さんが帰って行くんですよ。さすがに自分でも病んできて、これは“贖罪(しょくざい)”だと感じ、影アナ(ウンス)をやったりしました。 歌い終わって舞台袖に引っ込んで、息を切らしながら「本日の公演は終了しました」とか言って。それで少しは気分も戻ったんですが、でも、アーティストって、何をしてもどこかで贖罪の気持ちがあるんじゃないかなとも思います。 今回のライブでは、そのときのようなお客さんのことも励ましたいです。余計なお世話と言われるかもしれませんが(笑)。