セミナー講師として引っ張りだこの人気教師が「多忙でも絶対に続ける」学級経営「2つの秘策」
中学校教師としての本業とともに、毎週、日本の各地で教師向けのセミナーを行っている長谷川博之氏。多忙な彼が、それでも勤務校で毎年かならず続けていることが2つある。それが「学級通信」と「日記指導」だ。なぜそれほどまでこの2つにこだわるのか。著書『長谷川博之の学級通信365日全記録』をもとに、その理由を解説する。 【画像】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由
教育とは待つことであり、学級は花壇である
教育とは「待つ」ことだと私は思っている。 これは何もせず傍観していればいい、という意味ではない。熱をもって事にあたる。結果につながることはすべてやる。さらに、この2つを毎日続ける。それでいて結果は求めない。それが「待つ」ということだ。 学級とは花壇である。土を耕し、種をまき、水をやり、日当たりに心を配る。思いつく限りの世話を徹底的に続けたあとにできることは、芽が出て美しい花が咲くのを忍耐強く待つことしかない。 自身の中学生時代を振り返ってみると、私はいわゆる「いい子」では全然なかった。だから私は、いまでも教師の力をどこか信じていない部分がある。10の対応をすれば10、あるいは100の見返りがあるなどということはあり得ない。必要な子には100の対応をするが、内心では「私ごときでは」「この程度で変わるはずがない」といつも思っている。 だが私は、関わることをやめない。なぜなら子どものポジティブな変容は、教師が関わることでしか生まれないからだ。 たとえば人を傷つける行為や規則違反を繰り返す生徒がいる。彼らの向上的変容は最初、日々0.1ミリである。髪の毛一筋の成長をとらえ、認め、共に喜ぶ姿勢がきわめて大切だ。信じて関わって、「その瞬間」を「待つ」。結果を急ぐと生徒にも教師にも、そして保護者にもストレスが溜まり対応を誤る。 なかには別れの日まで変容しない例もあろう。だが、生徒の変容はこちらがアクションを起こしたからこそ起こるものだ。〈収穫には間に合わないかもしれないが、今日も一日種をまく〉の覚悟で行動し続けなければならない。