帯状疱疹発症後、見た目が変わると“扱われ方”にも変化が 自身の体験から証券マン→美容業界へ挑んだ異端の経歴を持つ社長に迫る
後遺症に悩まされる日々。見た目が変わると扱われ方が変わった。
ほとんどの症状は改善したが、痒みと跡は治らなかった。 帯状疱疹の影響で顔や頭皮が痒く、掻くとフケのようになって皮膚がスーツの上に落ちてくる。それを見た上司に「清潔感を保つように」と注意された。 お客さまにも冷たくあしらわれるようになった。人は中身が重要というけれど、見た目がこんなにも影響するのかと思い知らされた。発症前と後で、人からの印象が劇的に変わったことで、金さんは見た目が印象を決めることを痛感した。 「清潔にしようとシャンプーも念入りにしましたし、エステも化粧品もあらゆるものに手をつけました。もちろん病院にも行きました。2年で300万円くらいつぎ込んだんですが治りきりませんでした。その頃、病院で主治医から言われた “男の子でよかったね”の言葉は今も忘れることができません」
ラクトフォリンとの出会いから突如メーカー社長へ。
そんな折「その症状を改善できるかもしれない」と紹介されたのは、知人が研究中のラクトフォリンという成分だった。 実際に試して効果を実感した金さん。「商品化されたら買って使い続けるよ、と話していたのですが、予定していた取引先が取り扱いをやめたという情報が入り、悩んだ末に私が商品化しようと決断しました。美容業界への不信感が大きかった私が証券マンを辞めてでも飛び込んだのはラクトフォリンの力を確信したからです」。 金さんは証券会社を退職し、メーカー社長へと転身した。 商品化は成分濃度を検証しながら発売まで1年半をかけた。商品名は主要成分から「ラクトダーム」と名付けた。 しかし、ネット販売に絞った戦略はうまくいかず、広告費に800万円を投じたが、1本しか売れなかった。 「食べていくためには売らないといけない。古巣のお客さまのところに行って手売りしながら、なんとかしのいでいました」 直接販売していると、しだいにお客さまの声が集まり出した。使ってもらうとよさを実感してもらえる。そして、体験した人がリアリティのある言葉で語ることでラクトダームは少しずつ認知されていった。 使用感を丁寧に伝えることで、自分の知らないところでもよさは伝わっていった。 その頃、化粧品メーカーの社長を介してラクトダームは数店舗のエステサロンに導入されており、あるエステサロンでは3ヶ月で400本もの数を販売したのだった。 「自分が売らなくてはと思っていましたが、第三者でも売れるんだというのが率直な感想でした。また、過去の苦い経験からエステに対して後ろ向きなイメージがありましたが、本気でお客さまの役に立ちたいと思う人はいるのだと知りました。自分の思い込みがいかに可能性を狭めるかも思い知りました」 さらには共同開発でミストタイプの商品を開発するとクラウドファンディングでは610万円もの資金を調達できた。どれもラクトダームのよさが伝わり、認知されていることを物語るエピソードだ。 金さんは言う。「自責思考という言葉がありますが、まさにそうだと思います。今まで不可能だと思っていることは思い込みではないか?失敗したのは本当に相手のせいなのか?と問うべきです。何かに責任を押し付けておしまいではなく、あきらめないで可能性を信じていくことの大切さを私は身をもって体験しました」 前例を覆した就職、不信感でいっぱいだった業界をもう一度信じられるようになったことを経て、金さんは可能性を信じる力が未来を切り拓くのだと語ってくれた。
miho