「ベガルタ仙台のレジェンド」梁勇基がとことん追求したサッカーと影響を受けたサッカー選手たち
”とことん”のスイッチを入れる
まだ雪のチラつく2月の仙台。久しぶりに顔を合わせた彼から差し出された名刺の肩書は「ベガルタ仙台クラブコーディネーター」。つい数か月前まで仙台の10番としてピッチに立っていた梁勇基氏。 【画像】韓国・文在寅の「引退後の姿」がヤバすぎる…! 「基本的にスーツやジャケット、業務に合わせた格好でベガルタ仙台の事務所に顔を出している」というが、それが不思議で仕方なかった。「事務作業とかはまだ分からない部分が多いので、パソコン1つとっても若い職員たちに聞いて学んでいます」と苦笑いするもその言葉がまた初々しい。 昨季12月18日に引退を発表し、今年2月1日からクラブコーディネーターに就任した。フロントやアカデミーなどの業務など様々な事業の懸け橋となるべく、精力的に活動を始めている。 「日々、勉強でとても新鮮。慣れないことや難しさもあるんですけれど、楽しく仕事させてもらっています。楽しみしかないですよ。若い頃に比べて、視野は広がったと思うんですが、『もうこれ! 』ってなったら周りが見えなくなるタイプかもしれません。だからどんな仕事でも、そういうスイッチになったらとことんやるタイプだと思います」 クラブコーディネーターの仕事も“とことん”のスイッチを入れるべく、奮闘中といったところだが、やはりサッカーの話になるとかなり興奮気味で、饒舌になる。 「自分の職業がたまたまサッカーで、サッカーが楽しくて、サッカーが好きでやってきたわけですけど、それを“追求”してきた感じなんです。例えば『ここに完璧に蹴りたい』ってなったら、こういう球筋がいいんじゃないかとか、目標地点に落ちるボールがあったとしてその結果が同じなら、アウト回転がいいか、逆回転がいいのかとか。こう蹴ったボールのほうが、パスを受ける選手は良かったんじゃないかとか。シュートにしても少しでもGKに触れられたらイラっとして、完璧に隅に入れないと気が済まない(笑)。ドリブルしても相手の逆をつくのが楽しくてしょうがない。そうやって追及していくのが本当に好きでしたね」 引退してもなおサッカー小僧でJ屈指のプレスキッカーだったことが伺えた。それに、久しぶりに聞く大阪弁がまた心地よかった。