堂珍嘉邦「ステージの可能性を広げている」ライブに臨む姿勢と変化:インタビュー
12月15日と16日に『堂珍嘉邦 LIVE 2023 “”Now What Can I see ? ”~Holy Garden~』を控える堂珍嘉邦(CHEMISTRY)が、11月17日にセルフレーベルUZUから2CD+Blu-ray『堂珍嘉邦 LIVE 2022 ”Now What Can I see ? ~Drunk Garden~” at Nihonbashi Mitsui Hall 』をリリースした。同作品は2022年11月12日に行われた5年振りの有観客ホールワンマンライブを2CD+Blu-rayという形態で作品化したライブ盤。Dr.kyOn(ex. BO GUMBOS)を中心とした新バンドによりソロ (CHEMISTRYカタログ曲含む)、ジェフ・バックリィの「LILAC WINE」や 山下達郎「SPARKLE」など敬愛するアーティストをカバー。またCHEMISTRYの1st ALBUMへ収録されたケイコ・リーとのデュエット曲「星たちの距離(ディスタンス)」を真城めぐみ(HICKSVILLE)とのデュエットなどアンコール含め全18曲を収録した。インタビューでは、本作を収録した当時のライブを振り返りながら、キャリアを重ねどのような気持ちで活動をしているのか、その思いに迫った。【取材=村上順一】 ■最新の自分がいるということを記録 ――昨年のライブの模様が2CD+Blu-rayとして発売されました。改めて昨年のライブを振り返るといかがですか。 ソロ活動10年分、コロナ禍で5 年ぶりの有観客ライブというところで、記念品のような感覚があります。ソロ活動がスタートして今に至るまでにやってきたこと、方向性を含めて最新の自分がいるということを記録した感覚です。無観客というのが続いていたので、お客さんが顔を見ながらのライブって改めていいものだなと思いながら歌っていました。 ―― 有観客というのも大きな意味を持っていて。 有観客じゃなかったら1曲目の「LILAC WINE」の始まり方もなかったと思います。 ――ソロ活動ではギターを弾きながら歌うことも多いですが、堂珍さんとギターはどのような関係値になってきていますか。 最初はマイクだけで歌っている自分が嫌だったんです。手持ち無沙汰からギターを持つみたいなところもあって、ちょっと照れ隠しみたいなところもあったんです。また、楽器隊のソロタイムに自分が参加できない寂しさみたいなものもあったと思います。ソロワークを始めるにあたって、フレディ・マーキュリー(クイーン)みたいなマイクスタンドが欲しいなとかいろいろなことを考えていました。 ――ちょっと短いマイクスタンドですね。 そうそう。また、音楽をもっと体感するという意味でも楽器を奏でるというのは自分の中で必要でした。ボーカルが弾くギターは歌う人しかできない呼吸感みたいなものがあって、自分が弾くのならそういうギターが弾けたらいいなって。 ――かなり歌に寄り添う感じになりますよね? 確かに歌に寄り添ったギターを弾くというのはあります。優しく鳴らすのと力んで鳴らすのでは全然違いますし、自分はリズムギター的なニュアンスが多いので、よりそういう感覚になるのかなと思っています。また、ギターを弾くことで演奏に参加する楽しみも増えました。 ――「Damaged Cupid」では、ヘビーなリフを弾いたり、気持ちよさそうだなと思いながら映像を観てました。ところで堂珍さんの所有するギターの中で思い入れのあるものは? 今回リリースしたBlu-rayには登場していないのですが、58年製のレスポールスペシャルですかね。元々ギターへの知識があまりないなかで、昔ベン・ハーパーのライブを観に行った時に、かっこよかったので似ているやつを探して。オールマイティに使えるものを探していて見つけたギターなんです。当時のマネージャーさんが元々ローディーをやっていて、「どうせ買うならいいものにしようよ」というところからヴィンテージのレスポールスペシャルを購入しました。 ――ヴィンテージいいですね! さて、選曲というのはどのようなテーマで組んで行ったのでしょうか。 選曲のコンセプトは音楽的にも無理のないというのがあります。それは消極的な意味ではなくて前向きな意味なんですけど、自分の作品で必要な部分と不必要なところを見極めつつ、足りないところはカバー曲で埋めていく感じです。シンプルにライブ映えがいいというところで選んだ曲もありました。 たとえば自分がリスペクトしている、ジェフ・バックリィの「LILAC WINE」は歌い手としてとてもハードルが高い難しい曲なんです。ジェフ・バックリィに憧れがあり、楽曲もすごくロマンチックで、自分の曲ではこういう雰囲気の曲はなかったので、ずっと歌ってみたいと思っていました。ソロ活動も10年、ちょっと歌い慣れてきたかな? と思うところがあってシングル用にレコーディングもしました。 ――足りないところをカバー曲で埋めていくという感覚なんですね。 それに加えて自分の言葉のように思えるものというのもあります。好きな曲というのは当たり前で、俯瞰して見て自分と相性が噛み合っているものじゃないとやらないんですけど。 ――カバー曲はスタッフさんが提案された曲もあるんですよね。 スガシカオさんの「黄金の月」はそうです。過去に大阪のイベントでスガシカオさんと一緒になったことがあって、生で「黄金の月」を聴くことができて。伝わり方、沁み方、メッセージ性など、僕が歌っても間違いないからやってみようとなって。 ――改めていろいろな曲に触れていくことで、気づきみたいなものもありますか。 僕がカバーする曲は孤独感のあるものが多いので、改めて自分はそういう曲が好きで、相性もいいのかなと思いました。スガシカオさんの「黄金の月」、Fishmansの「いかれたBABY」、SPIRAL LIFEの「CHEEKY」は孤独感や影の入り方など、そういうところに自分は惹かれるところです。 ――山下達郎さんの「SPARKLE」のカバーも印象的でした。 明治座150周年記念(玉野和紀演出)という趣旨で『Dream Co-Star』という舞台で音楽とお芝居がミックスされたイベントがあって、好きな曲を歌うことができたので、「SPARKLE」選んでを歌ったのがきっかけでした。歌うのも演奏するのも大変な曲なのですが、ライブで盛り上がるし、身を削ってでもやる価値がある曲なんです。 ――山下達郎さんの作品で好きなアルバムは? 僕は『IT'S A POPPIN' TIME』です。このアルバムを泣きながら聴いていたこともあるくらい、好きな曲もすごく多いです。 ――ちなみに、堂珍さんお気に入りの映像作品は? 2009年頃にリリースされた『From The Basement』というDVDです。ダミアン・ライス、トム・ヨーク(Radiohead)も出ていて、いろんなアーティストが集まってライブをやっていた映像で当時すごい観ていました。(※ 『From The Basement』 は、RadioheadやBeckなどのプロデュースを手がけるナイジェル・ゴドリッチのネットTVショー“From the Basement”からベストパフォーマンスを集めたスタジオライブ集) ――さて、カバーも含めるとオリジナルとのバランスなどセットリストを組むのも難しそうですね。 ライブの中で起承転結の流れがあるように、喜怒哀楽もあります。例えば「楽」で終わるのか、「哀」で終わるのか、など物語といったら大袈裟かもしれませんが、曲の主人公がうまく流れていけるように、歌詞も重要視しているかもしれないです。 ――セトリといえば「My Angel」は近年のライブでは必ず歌われている曲です。歌い続けていく中で変化は感じていますか。 プラネタリウムでライブをする『LIVE in the DARK』に出演することが2019年から定期的にあって、自分のライフワークの一つになっているのですが、そこでドンピシャにはまる曲だなと思ったのがきっかけです。そこからのスタートだったのですが、この曲に限らずですけど、歌っている時の解釈、景色やイメージみたいなものは毎回違うと感じていて、響いてくるポイントも歌い方によって違うんです。 ――僕の中でこの曲が重要な1曲になってきている印象があって、すごく今の堂珍さんを表現するのに適した曲になっているなと。この曲に身を委ねてるというか、歌い上げるというよりも、すごくフラットな歌い方をされてるようなイメージがあって。 人によっては会いたい人や亡くなってしまった人など、Angelという存在がいろいろな境遇に当てはまる曲だなと思っています。以前、とある俳優さんがこの曲を気に入ってくれまして、「この曲を歌ってもいいですか?」って。僕は「もちろん歌ってください」とお返事して、なぜ歌うのか気になったので、理由を聞いたところ、その方のおじいさまが亡くなったとのことでした。まだ心が癒えていない時にこの曲を聴いて、すごく心に刺さったと話してくれて。 歌の中で<スコアレスのままで繰り返されるボールゲームみたいに転がり続ける>というフレーズがあるんですけど、端的に言うといいことがあると悪いこともある、いいことをしたら幸せになれる、人生はそういうところを行ったり来たり模索している、といったちょっと達観したような視点もあるので、フラットで自然に聞こえるというのは楽曲の持つ世界観にもあるかもしれないです。 ――この歌詞は石井マサユキ(Tica)さんが書かれた歌詞なのですが、堂珍さんも内容に関してリクエストされたりも? この曲をいただいたのは15年前くらいになるのですが、その頃はCHEMISTRYのツアーを石井さんと一緒に回っていて、夜な夜な音楽を聴きながらお酒を一緒に飲んだりしていました。僕の人となりをわかっていただいた上でお願いした曲なんです。元々は武田カオリさんとのデュエット曲の候補にもなっていて、CHEMISTRYのアルバム『the CHEMISTRY joint album』に収録される候補曲でした。結果「アンドロメダ」が収録されたのですが、「My Angel」もすごく良かったので、いずれ歌いたいなと思っていました。 それで石井さんに「あの曲まだ生きてる? カオリさん歌ってないよね?」と未発表かどうか確認して。また、僕の中でこの曲はジブリっぽいイメージもあるんです。いただいた当時はジブリの主題歌になったら最高だなと思ったりしていました(笑)。 ■ステージに立つにはピュアじゃないとやれない ――堂珍さんは今年45歳。周年ともいえるキリの良い年齢だと思うのですが、年齢に関してはどう考えられていますか。 正直、老けてきたなというのはあります。 ――そうですか? とはいえ、こういうお仕事、活動をやらせてもらってる分、結果的に年齢に抗っていることになっていますけど。人の心を動かす仕事で自分の心も動かすことになっているわけで、いろいろ活性化をすることによって精神的にはあまり老けていかないとは思います。でも、ピュアでいられることが少なくなっているような気もするのですが、それって人生経験や選択から来る感情みたいなものなんですよね。ただ、ステージに立つにはピュアじゃないとやれないんです。 ――ご自身の中で成長も感じてますか? 20代の頃に比べて無理はしなくなったと思いますが、まだまだ自分はガキだなと思っています。ただ、何でもかんでも「それ知ってる」とか強がらなくなったというところは成長なのかな? また、周りを見てものを言えるようになってきたと思っています。 ――私は堂珍さんと同い年なのですが、20代の時と比べると、ときめくことや感動することがめちゃくちゃ少なくなってきたと寂しさを感じています。 生きていく選択肢の中で新しいことをどんどん見つけていくのも良いかなと。何かを決めないのであれば、決めた方が人生が充実する、違う世界があるかもしれないですし、ワクワクすることに一歩踏み出すのもいいかもしれないなと思っています。 ――学生時代の堂珍さんはワクワクすることに一歩踏み出してきたわけで。 いやいや、高校生の頃の夢が浮浪者ですからね。何もしたくなかったというティーンエイジャー特有の感情です(笑)。世の中に対しての絶望感じゃないですけど、そういうのを感じていた10代でした。 ――希望も何もないというのは意外でした。 逆に「希望がない」と自分でコントロールしていた部分もあったと思います。ただ歌、音楽だけはやりたいとずっと思っていて。 ――その絶望感のある中でアメリカにホームステイに行くという行動力はすごいです。 たまたま学校でホームステイを募集していて、同じバンドを組むことになる友人がアメリカに行くと言っていたので、僕も言ってみたいなと思ったんです。当時の僕なりに刺激がほしかったんだと思います。 ――一歩踏み出したことによって、生活が変わっていったんですね。 引っ込み思案の僕が少し勇気を出すきっかけになりました。アメリカは人はもちろん、建物、食べ物、声、リアクションなど何もかもが大きい中で、ちっぽけな自分というのをすごく感じていたと思います。 ――ホームステイ先で歌をほめられたことも自信に繋がって。 そうですね。少し背中を押してもらえたと思います。 ■音楽の可能性を広げているという感覚 ――今、歌に関して考えていることはありますか。 日々模索しています。正解がなかなかないと言いますか。イメージはあっても実際にできないことがたくさんあるんです。「芝居は歌のように、歌は芝居のように」という言葉があるのですが、それが特に芝居をしながら歌うときはなかなか難しくて。 ――ミュージカルから得るものもすごくあるんですね。 いい効果はあります。CHEMISTRYで歌うときもすごく楽に歌えるようになっていたり、ここにちょっと強弱付けよう、ここは感情的に表現できるなとか、フレッシュに歌と向き合えます。 ――相乗効果があって。 やったらやった分だけ、返ってくる感じがしています。ミュージカルスターの方やちょっと年齢が上の先輩方とお会いすることもあるのでそれも貴重な時間です。たとえばその方の中で、CHEMISTRYというものがどんな風に存在していたかとか。「聴いてましたよ」なのか「親がCHEMISTRYを聴いていたけど、自分はEXILEを聴いてました」とか、いろいろな人がいるから面白くて。 ―― CHEMISTRYの活動も24年ともなってくると「親が聴いてました」という人も出てくるわけで。 「RENT」でダブルキャストだった甲斐翔真さんという役者さんがいるんですけど、甲斐さんの親は僕の一歳下で。でも甲斐さんと僕は同じ役なんですよ。 ――親子ほど離れているのに同じ役というのはすごい! さて、堂珍さんにとってライブというのはどんなこと伝えたい場所になっていますか。 昨年はいろんなものを取り入れて削ぎ落としながらやってきたことをお客さんの前で見せることができました。その中で普段通りの自分や少し強気な部分、楽曲も新しい解釈を持って引っ張り出してくるのか、など手を変え品を変え悩むところもありますが、それが楽しいとこでもあります。なるべくフレッシュに感じてもらいたいと言いますか、自分たちもフレッシュにやりたいと思っています。 ――近年はCHEMISTRYの楽曲もソロで歌うことがありますが、あえてCHEMISTRYの曲は入れないようにしようと考えていた時期もあったのでしょうか。 差別化を図るためにソロ活動の8年間ぐらいはそう考えていました。でも今はこだわるポイントがそこにはなくて、ステージの可能性を広げているという感覚です。それが自分にとって表現の広がりにもなるし、CHEMISTRYへのリスペクトを持ちながら、中々演らない曲を、色んな場面で披露していかないと可哀想かなと。 ――CHEMISTRYとソロ活動の境目のようなものがなくなってきているような感じですか? それすらも考えなくなった気がするというか、CHEMISTRYとソロでは音楽に対するアプローチが自然と違うんです。音楽の聴き方も違えば好みももちろん違うし、お客さんに対しての考え方も違うので。CHEMISTRYでできることとソロでしかやれない発想、ワクワクというのはまた別としてあります。どちらもすごく楽しんでやっています。 (おわり)