『ブギウギ』スズ子に“ブギの女王”の風格が芽生える 戦後の苦難を笑い飛ばす力強さ
あらゆる人的・物的資源を動員しながら、戦争へと突き進んでいく日本。平和な日常は壊され、それを悲しいと思う感情さえも人々から奪われていく。それでもスズ子(趣里)、善一(草彅剛)、りつ子(菊地凛子)は愛する音楽を決して手放さなかった。音楽は、音楽に動かされる人間の心は、何にも縛られず、自由であることを証明するために。 【写真】黎に上海での音楽交流を感謝する善一の姿 『ブギウギ』(NHK総合)第67話では、そんな彼らがついにそれぞれの場所で終戦の時を迎える。しかし「やったあ! これで本当に自由だ! これからは心置きなく音楽が楽しめる!」……とはならないのが戦争。スズ子は巡業先の富山、りつ子は慰問先の鹿児島、善一は上海で日本の敗戦を知るが、どういう顔をしていいかわからないといった表情が印象的だ。 開戦の兆しが見えた第8週から実に7週間かけて、じっくりと戦時下を描いた本作。これは同じ時代を通過する朝ドラの中でもかなり特異な例で、「正直、長かった」と思う視聴者も多いのではないだろうか。けれど、実際に戦争を体験した人たちにはもっともっと長い時間に感じられただろう。いつ爆弾が投下され、自分や大切な人が命を失うかも分からぬ状況が延々と続くのだから。スズ子が富山で出会った女中の静枝(曽我廼家いろは)が正気を保っていられないのも無理はない。 そんな中で「戦争は終わりました」と言われてもすぐに実感など湧くはずがないし、戦争が終わったからといって失われたものが戻ってくるわけでもない。奪われるのは一瞬だが、奪われた方の悲しみはその先も長く続き、下手すれば一生消えることはないのだ。しかも、日本は敗戦国。ようやく実感が湧いてきたと思ったら、今度は「これから、この国はどうなるんだろう」という不安に襲われる。スズ子たちも公演は全中止になるとみて、東京へ戻ることに。その道中も、男は米兵の奴隷に、女は妾にされるという噂や、路頭に迷った物取りの存在に怯えなくてはならなかった。 けれど、スズ子にはまだ多くのものが残されていた。東京で無事に愛助(水上恒司)と再会を果たしたスズ子は小夜(富田望生)も一緒に、坂口(黒田有)が与えてくれた三鷹の家で再び暮らし始める。苦しみは誰かと比較できるものではないが、住む場所も家族も失った人がこの頃はたくさんいたと考えれば、屋根のある家で愛する人と共に新たな生活をスタートできるスズ子は幸運と言えるかもしれない。スズ子もそのありがたみはよく分かっていて、離れて暮らす父親の梅吉(柳葉敏郎)やUSKの仲間たちの安否など、気がかりなことは多々あるが、「考えても分からんし、ワテは信じることにした」「何もないことはない。ワテは生きてここにおる」と前を向く。 スズ子は強い。そして、その強さに救われている人は大勢いる。静枝が愛する夫を失い、その夫が命をかけた戦争に日本が負けても、「不安だけど生きてくしかない」と思えたのは。愛助が戦争に加え、病気で自由が制限される中でも、「自分ができることを」と食材となるジャガイモを育て始めたのは。スズ子の生き方そのものである歌の力強さに背中を押されたからに他ならない。まだ苦しみのトンネルから抜けたとは言い難いが、スズ子、愛助、小夜がジャガイモが出来たらどうやって食べるかについて話す場面に心が和む。「何を食べてもご馳走やなんて、それはそれで悪ないなあ」と笑い飛ばすスズ子に、戦後の日本を明るく照らすことになる“ブギの女王”の風格を見た。 かたや心配なのは、善一の行く末だ。彼がいる上海は敵国であり、日本の敗戦後、街では国土の返還を求めるデモ隊の声が鳴り響く。共に音楽会を盛り上げた現地の作曲家・黎錦光(浩歌)は「これからは敵も味方もなく堂々と付き合える」と鼓舞してくれるが、善一は無事に帰国できるかどうかも危うい状況である。前作の『らんまん』から連続で朝ドラ出演となった朝井大智演じる銃を持った男に連れ去られた善一の運命は……。
苫とり子