【訃報】異才、坂田信弘、泉下の客に。ゴルフ界に確かな足跡を残して
日本ゴルフ界にプロゴルファー、観戦記者、レッスン書、ビデオ、作家、漫画原作、講演、そしてジュニアゴルフ塾主宰と、縦横無尽に異才を発揮してきた坂田信弘が2024年7月22日、鬼籍に入った。ご冥福をお祈りするとともに、氏と親交が深かったゴルフダイジェスト社特別編集委員・古川正則の追悼記事を掲載する。 作家・坂田信弘の原点。1984年6月6日号『週刊ゴルフダイジェスト』に掲載した自戦記。拡大してご確認ください
すべては1984年、週刊ゴルフダイジェスト誌が坂田に「ペプシ宇部トーナメント」の自戦記を書いてもらったところから始まったといっていい。「京大出たプロゴルファーがいるらしい」との噂を聞きつけた小誌(週刊ゴルフダイジェスト)が声をかけたのだ。そして上がった原稿は漢文的趣きを下地にし、体言止めを効果的に使ったキレのある文体。編集部はいっぺんで魅了されてしまった。小誌と異才の幸福な邂逅があったというべきだろう。その環の片隅に当方もいた。 坂田は1947年、熊本市で生を受けている。生家は大きな菓子製造業だったが、経理担当者の不正により倒産。関西尼崎市へ夜逃げしたとは本人の弁。尼崎北高より肉体労働のアルバイトをしながら京都大学文学部へ入学するものの、在学中に親が亡くなり家族に仕送りするため中退し、自衛隊体育学校に入隊。 まさに文武両道を歩む人生ではないか。1971年、自衛隊を任期満了で退職すると、今度はプロゴルファーを目指すため栃木県の鹿沼CCの研修生生活に入る。この時の体験が後のヒット漫画『風の大地』に描かれることになる。その後、愛知県の貞宝CCに移籍し、75年にプロテスト合格。クラブを握ってからわずか3年11カ月でプロになる異例の早さだった。78年福岡県の周防灘CC入社。この地でプロとして爪を研ぎ、思索を練る時間を持ったといっていいだろう。 そして、84年、前述のように小誌をきっかけに執筆活動が開始されるわけだ。85年からマスターズへ週刊ゴルフダイジェスト特派記者としての活躍が始まる。その観戦記は坂田独自の感性で綴られ、世界の超一流たちのスキルと心理が分析されて読む者のページを手繰る指を急がせた。 ジュニアゴルフ育成の坂田塾が始まったのは93年、地元熊本塾から。翌年札幌、そして福岡、東海、神戸、船橋と広がっていった。このネットワークづくりも坂田の人間的魅力があってこそだろう。指導するコーチはボランティア、地域の練習場、ゴルフ場と提携し、子どもたちから一切お金は取らなかった。そして親からの口出しは一切無用というのが最初からの塾是であった。これを可能にしたのは、坂田が執筆活動で得た資金をつぎ込んだからだった。海外で行う合宿費用、試合出場のための遠征費まで負担した。 坂田が傑物だったのはこれだけではない。子どもたちが塾を卒業する時に、大学(大手前大学)にもいける道筋をつけたことだ。 これまで塾出身者115名余りがプロテストに合格し、シード権をとったのは19名という。古閑美保、上田桃子、有村智恵、笠りつ子、安田祐香らを輩出している。 著作、漫画原作、テレビ番組、ビデオなど多数で、これらを紹介するには紙数が足りない。その中で当方が担当したのは小社発行『ゴルフ進化論』の単行本とビデオ8巻。ゴルフ場のホールの貸し切りができるというわけで、タイ、マレーシア、インドネシア、中国、米国で撮影した。 同じ団塊世代という共感を持ってくれたのか、最初から「サンちゃん」(棋士・坂田三吉からついた)、「フル」と、ニックネーム同士で呼び合った。1ロケで1週間ほど滞在するのだが、3食の食事はほとんど一緒に摂れなかった。坂田は毎日のように締め切りを持っているので、時には夜を徹しての執筆になったからだ。よく頭がそれぞれ前回の続きに切り変われるものだと、スタッフ一同感心したものだ。やはり並みの灰色の脳細胞ではなかったのだろう。撮影での撮り直しもほとんどなし。 傾斜のついた古びた木製の台の上に原稿用紙を置き、黒のサインペンで撫でるように書いていく。この木製の台がどこへいくにも必需品。このスタイルは最後まで変わらなかったはずだ。 坂田は多くのメディアに“作品”を提供しているが、週刊ゴルフダイジェスト『野性塾』が原点、自分の故郷だと思ってくれていたに違いない。というのも「これだけはオレが死ぬまで連載し続ける」と宣言していたからだ。そして事実、最終回まですでに用意していた。近々、これを公開したい。 ゴルフ界を多くの足跡を残しながら生きた76年、団塊世代がまた一人人生の幕を下した。しかし、サンちゃん、しばしの別れだ。また会おう。合掌 (敬称略) === 文中にある作家・坂田信弘の原点である1984年ペプシ宇部トーナメントの自戦記は関連記事にある「フェアウェイでは春風駘蕩」でご確認いただけます。
ゴルフダイジェスト社特別編集委員 古川正則