「奥川を出させるな!」で一致団結、24年ぶり4強決めた星稜の意志力と監督采配の妙
台風10号の影響で日程が順延となったことで流れが変わった。山下智茂・星稜総監督によれば「8月16日は死闘の末敗れた箕島戦、松井の5敬遠も、その日だった」という星稜にとっての厄日。しかし、台風で因縁の日を回避することになり、1日延びたことが奥川に恩恵をもたらした。星稜関係者によると「奥川は大会に入っても本調子ではなく、ボールがシュート回転していた。1日でも調整できたのは大きかった」という。 それが智弁和歌山戦での23奪三振という新たな甲子園伝説を生む。これは1958年大会で延長18回を投げ、25奪三振の板東英二には及ばなかったものの、1973年大会で延長15回を投げた作新学院の江川卓(元巨人)に肩を並べる快挙だった。 試合後、元阪神、巨人などでプレーした智弁和歌山の中谷仁監督も「奥川君は気迫、球威、投球術とどれをとっても素晴らしかった。マウンドの姿はまるで田中将大のよう。ここ一番でギアを上げ、楽しみながら投げていた」と楽天時代の同僚でもあり、現在ニューヨーク・ヤンキースに所属する”マー君”を引き合いに出して絶賛するほどだった。 19日は大会休養日となっており、これで奥川は中2日で準決勝の中京学院大中京との準決勝に先発できることになった。休養十分とまではいかないものの、コンディションは整えやすい。中京学院大中京は、終盤、特に7回に驚異的な粘りを発揮しているチームだが、強打の履正社、もしくは投打のバランスがいい明石商と準決勝でぶつからない組み合わせも、天の配剤のように映る。奥川が気合を込めた。 「今日休ませてもらって、明日も休みなので、万全に近い状態でいけるんじゃないかと。次につないでもらったので、絶対に途切れさせないようにしたい」 今大会から準決勝のあとにも、もう1日の休養日が設けられているので、連投の危険性は回避された。もし星稜が決勝進出を果たせば岩手大会の決勝戦での大船渡の佐々木朗希のように奥川が先発回避する可能性は、よほどの展開にならない限りないだろう。 頂点まで残り2試合を奥川に賭ける。 それは林監督とナインの総意だ。 奥川を援護するチームは、日替わりヒーローが生まれる状況となっていて、林監督も「甲子園で勝ち上がって行くためには1試合1試合、力をつけていくチームじゃないと勝てない。その意味では選手は逞しくなって来てくれている」と野心を隠さない。 北陸勢にとって遠い存在だった深紅の大優勝旗が見えてきた。2015年春のセンバツで敦賀気比(福井)が優勝しているものの、夏の最高成績は1995年星稜の準優勝。優勝したのは帝京(東東京)だった。決勝戦は星稜・山本省吾(元近鉄など、現ソフトバンクスカウト)と帝京・白木隆之という2年生エースの投げ合いとなり、星稜が初回に1点を先制したものの、最後は帝京に1対3で逆転されている。しかし、今年の星稜は24年前以上にタレントがそろっている。