プールを展示した経緯は? 金沢21世紀美術館・館長が仕掛けた「常設」で人を集める戦略
芸術家の眼差しを観客にどう伝えるか
キャリアの始まりは、日本初となる現代アート主体の公立美術館・水戸芸術館でした。そこで作家と共に創り上げた様々な展覧会が、今の仕事につながっていると思います。企画した展覧会の図録を見た海外の有名アーティストから突然電話がきて、そこでキュレーションの極意を伝授される......なんて経験もしました。 収蔵品の管理・研究が仕事のメインとなる学芸員とは違い、キュレーターには「アートと観客をつなぐ役割」が求められます。特に現代アートの場合、作者が観客と同じ時代を生き、同じ問題意識を共有しているわけですから、企画展を組み立てる「編集者」としてのキュレーターの存在が欠かせません。 今も、写真や映像、デザインやサブカルなど、幅広い分野にアンテナを立てて「今、何が起きているか」を見逃さないようにしています。日夜見えてくる新たな視点や新鮮な考えなどを来館者の方々と共有したい一心で、これまで様々な展覧会を創り、走り続けてきました。
大衆に迎合しても成功に至る道はない
これまでの仕事でとりわけ印象的なのが、私にとって初の国際展となったイスタンブールのビエンナーレです。開催されたのは2001年の9月。開催の10日前に「9・11」が発生し、世界的な混乱とトルコという土地柄の影響で、空港はおろかアメリカ大使館横のホテルも閉鎖されてしまったんです。展覧会も中止寸前に追い込まれました。 でも、すでに作品が並んでいた会場をくまなく回っても「展示すべきでないもの」があるとは思えなかったんです。それに加え、手伝ってくれていた現地の学生の中に「欧米への留学予定が、一方的にキャンセルされた」という子も出てきて、ひどいな、過剰な分断が起こっているな、と率直に思いました。それで、主催者を説得し、なんとか開催にこぎつけたのです。 今も、あれは開催してよかったと思います。あれを経て「なぜアートをやるのか」が私の中で明確になりましたから。アートこそ、世界の分断を越えて人の心をつなぐものだと思います。 それと、このときもそうですが、これまで様々な困難を乗り越えてこられたのは、私一人の力ではありません。「やりたい」と望む人がいたからです。 私は、1万人が反対するものでも、その成功を信じる人が10人いれば、成功に至る道が必ずあると考えています。大衆に迎合しても何も生まれません。大衆を誘惑する、私の欲望──見せたいものに向かって一緒に歩いてくれるように仕向けるのです。 私が一貫して取り組んできたのは、私と共に未来を創る人たちを信じることと、その人たちの期待に応えること。チャンスもアイデアも、誰かが与えてくださるものです。幸いにも私を必要としてくださる人、招いてくださる人がいて、私はただ起こることを受け入れながらここまで進んできました。 必要としてくださる人がいる限り、困難な道もさほど怖くはありません。1回きりの人生、守りに入っても仕方ありませんからね。今後もこれまで同様、示された課題を乗り越え、招いてくださった方の期待を超える仕事を積み重ねていく所存です。 【長谷川祐子(はせがわ・ゆうこ)】 京都大学法学部を卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。水戸芸術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長及び芸術監督、東京都現代美術館チーフキュレーター、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授などを歴任し、2021年より現職。第7回イスタンブール・ビエンナーレ「エゴフーガル」展アーティスティック・ディレクター(01年)ほか、海外での実績も多数。著書に『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』(集英社新書)などがある。
長谷川祐子(金沢21世紀美術館 館長 キュレーター)