午前4時に絶叫する「狂気の日々」…三重県の「超スパルタ校」卒業生が告白する「脱走」と「強制送還」
脱走は日常茶飯事だった
「日生学園」という高校をご存知だろうか。 約40年前、私はこの「超スパルタ高校」の生徒だった。 【貴重写真】え…半狂乱で行なわれる「全力心行」 日生学園の卒業生は一生、あの「3年間」から逃れられない。いまも日生学園で過ごしたことの後悔と無念、恨み、そしてほんの少しの感謝…あらゆる感情が頭の中を駆け巡る。それだけ、学園での日々は強烈過ぎた。 私がこの「地獄の青春」を本当の意味で終わらすにはすべてを吐き出すしかない、そう思ったのだ。 今回は私が日生学園から「脱走」を試みたときの話をしたい。 日生学園では生徒の脱走は日常茶飯事だった。理由にはことかかない。 日生学園での生活は朝の4時の起床から始まる。これは陸上自衛隊や刑務所の起床時間よりも2時間以上早い。
ごはんのなかに「小石」
起床してすぐに始まるのが「全力心行」だ。道場(一般の学校でいう体育館のこと)に全校生徒が集合して行う。上半身裸になり肩幅の2倍ほど足を開き、力士が四股を踏むような体制を取る、そのまま上半身を前方に倒し、手にした雑巾で一心不乱に床を磨く。一連の動作の際に「ワッショイ! ワッショイ!」と絶叫するまでがセットだ。 滑稽に見えるかもしれないが、これがつらい。足腰に負担がかかるし、2,3分もすれば息も絶え絶えになってくる。 しかし「全力」を至上とする日生学園では「ワッショイ!」と叫ぶ声が小さかったり、磨く速さが遅かったりして「全力でない」と判断されると先輩や教師から檄が飛び、ときには蹴られたり、ブン殴られたりする。そのため、一切手は抜けない。これが1時間ほど続く。終わったころには疲労困憊である。 午前中は押し寄せる睡魔との闘いで精いっぱい。教師の話を聞いている場合ではなかった。中には「私が責任を持つ、本日の授業は寝ても良いこととする」と全力で睡眠をとらせてくれる年配の教師もいたほどだ。 辛い生活の中での数少ない楽しみが食事なのだが、お世辞にもウマいとは言えないものだった。たまに出されるホカホカの白米がごちそうに見えるほど質素なメニューがほとんど。いつも出てくる麦飯は保温できないジャーに入っており、食べるころにはぬるくなっていた上に、なぜか小石が入っていることも少なくなかった。 先輩との関係も悩みの種だ。日生学園では封建的な上下関係が敷かれていた。下級生が洗濯など先輩の身の回りの世話をするのが「伝統」で、人によってまちまちだが、中には就寝前にマッサージをさせたり、靴下まではかせたりする先輩もいた。 最もひどい扱いを受けるのが1年生だ。食事はいつも最後に食べねばならないし、入浴の際は湯船に入ることすら許されない。しかも少しでも先輩の気にさわると体罰が待っている。奴隷並みの扱いである。