市川左團次さん死去から1年 長男男女蔵は「スーパーマン」、孫男寅も「唯一無二」としのぶ
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 昨年4月に82歳で亡くなった歌舞伎俳優・市川左團次さんの長男・市川男女蔵(おめぞう=56)、孫・市川男寅(おとら=28)がこのほど、「團菊祭五月大歌舞伎」(同2~26日、東京・歌舞伎座)の取材会を行った。昼の部「毛抜」は左團次さんの追善狂言(=演目)として上演される。 左團次さんは、敵(かたき)役から老け役、ユーモラスな役柄など幅広く演じた。世話物、時代物、新歌舞伎において、芝居に厚みを加える貴重な存在だった。 男女蔵は、舞台での父について「かっこよかった。男くささ、品の良さはまねできない部分です。スーパーマンです」と言い、男寅も「唯一無二の存在感を出していた」と振り返る。 左團次さんは、骨太の舞台と、インタビューなどで見せるおちゃめな表情が印象に残っているが、私生活ではまた別の顔だったよう。 男女蔵は「親子がベタベタするような家ではなかったんで、名前を呼んでいただけるのもそんなになかったです。おーいとか、ダメ蔵君とか。自分がいなくなった時に(私が)困らないように、あまり精神的な部分が変わらないように、わざと突き放していたような気がします」と話した。 一緒の時間を過ごすことが増えたのは、左團次さんが75歳を過ぎてからだという。「ご飯を一緒に食べたり、趣味のゴルフ一緒に行ったり。一緒にいる時間といっても、本当にささいですよ。1日半とか」と笑みを見せた。 男寅も、左團次さんとの距離感を明かした。芸については「直接教わったことが本当になく、来月この役をやらせていただきますと言うと『あの人に習いに行きなさい』と。少したつと間接的に指導が入るんです。こう言ってましたよ、と伝わってくる」と明かした。独特な関係性だが、後日、間接的に指導が入るというのが、ちょっとほほえましい。 つかず離れずの距離感でも、息子は父を「スーパーマン」と言い、孫も「唯一無二」と言う。それほど左團次さんの存在が大きかったことや、3人が根底で通じ合っていたということなのだろう。 ちなみに、男女蔵と男寅の親子はどんな感じなのか? と聞かれると、男女蔵は「同じような育て方をしています。ただおやじさんが僕に向き合ってくれたよりは優しいですし、コミュニケーションや会話も1000倍、1万倍は多いですね」と照れ笑いした。男寅も「祖父と父と、父と僕の関係だったら、多分、1000倍、1万倍コミュニケーションを取ってくれていると思います」と応じ、笑った。 追善狂言の「毛抜」は、左團次さんが79年の襲名の時に主人公の粂寺弾正をつとめ、その後も何度も演じている。男女蔵は、父の粂寺弾正について「色っぽかった。自然にわいてくる、におってくる色があった。助言していただいたことをまずコピーして、最終的には自分を自然体で出せればいい」と話している。【小林千穂】