「レース前は痛み止めの注射6本」ケガで引退に追い込まれたガールズケイリン選手「“ダメかも”と思うとすべて崩れてしまいそうで」
2023年末、ガールズケイリン選手3人が代謝制度により引退した。1期生の白井美早子、2期生の田仲敦子、12期の奥平彩乃の3選手だ。今回はガールズケイリン創世期の功労者である白井のメッセージを紹介する。 陸上競技から自転車競技に転向し、ガールズケイリン選手として11年のキャリアを送った。最後は落車によるケガがきっかけで成績不振に陥り、12月末をもって強制引退に。最後の力を振り絞ったラストランを振り返った。
度重なる落車で強制引退に…
選手生活の晩年は落車に泣くことになった。 2022年7月の函館で左肩を負傷、同年9月富山で右肩を負傷。流行り病にもかかり、なかなか思い通りのトレーニングをすることができない日々が続いた。2023年は治療とリハビリの繰り返しだった。 「治療はつらかったです。最後の半年(2023年後期)は痛み止めの注射を6本打ったりしてレースに向かっていました。特に左肩がひどくて、発走機から出るのすらキツかった。『ダメかも』と思うとすべてが崩れてしまいそうで、気持ちを保つのに必死でした」 苦しいレースは続き、成績はなかなか復調しなかった。そして代謝制度により2023年後期をもって選手生活を終えることとなってしまった。 ラストランとなったのは12月松阪。この開催には、デビュー前から苦楽を共にした1期生も3人参加した。 「松阪の前にいろんな人にあいさつをしました。『これで最後か』と…。でも周りにいろいろ気を遣われるのは得意じゃないんですよ」と平常心でその日を迎えたという。 結果は3日間7着。車券に絡むことはできなかったが、最後まで全力でもがいてレースを終えた。松阪には多くのファンも訪れ、最後の勇姿を見届けた。白井はゴール後も送り続けられた声援に、“投げキッス”で応えた。 「最終日もレースが終わるまで涙は出なかったんです。でもレースを走り終えて、(同期の藤原)亜衣里さんの顔を見たら涙が出てきて…。亜衣里さんから『よく頑張った』って声をかけてもらって、涙が止まりませんでした。開催後、松阪競輪さんのご厚意で同期や大阪の後輩たちが駆けつけてくれていて、本当にうれしかったです。周りの人に恵まれた競輪人生だったな、とあらためて思いました」