<スポーツライター藤原史郎の目>広陵と広商 5度目の「春」同時出場/上 しのぎ削った戦前期 /広島
広島の高校野球をリードしてきた広陵と広島商の両雄が、第94回選抜高校野球大会に5度目の同時出場をする。過去の両校出場を振り返りつつ、近年の戦いぶりを軸に、センバツと広島の高校野球をたどってみた。 「春の甲子園」として定着したセンバツは1924(大正13)年、中等学校野球の人気から夏の選手権大会と異なる選考基準で始まった。第1回大会は8校が参加し、高松商(香川)が優勝。広島からの出場は無かった。翌25年の第2回大会に広陵中(現広陵)が初出場し、26年の第3回大会で優勝した。さらに第4回大会で準優勝、第5回大会にも出場した。5年連続となった29年の第6回大会が、広島商と初めての同時出場だった。 この大会が初出場だった広島商は、その後連続出場を続け、31年の第8回大会で頂点に立った。両校の全国制覇で「野球王国広島」をとどろかせた。32年の第9回大会には再び広島商と広陵がそろって出場。広陵は35年の第12回大会で準優勝している。 戦前の出場回数は広島商8回、広陵7回。まさに両雄がしのぎを削ったが、戦後になって同時出場は長く途絶え、栄冠からも遠ざかる。広島商は73年の第45回大会で準優勝したが、広島勢で戦後初の優勝は76年の第48回大会に初出場した崇徳だった。 91年の第63回大会で、広陵は65年ぶり2回目のセンバツ優勝に輝く。現在も指揮を振る中井哲之監督が就任2年目の春だった。翌92年の第64回大会が、60年ぶりとなる三度(みたび)の両校同時出場となった。 前年秋の県大会決勝は延長十一回表、広島商が1点を奪うと、その裏広陵は適時打2本で逆転し6―5で勝利した。秋季中国地区大会で両校は決勝で再び対決。七回の2点本塁打が決勝点となり広陵が5―3で広島商を破り、前年センバツ王者の貫禄を見せた。当時は10校で争われた中国大会の結果が評価され、鳥取の米子商(現米子松蔭)との3校がセンバツに選ばれた。 センバツではともに1勝。広陵は福岡工大付(福岡)との初戦、初回に4安打で3点を奪った後も攻撃の手を緩めることなく15安打で14得点。3投手の継投で被安打3、1失点の快勝だった。2回戦の育英(兵庫)戦では、散発5安打で無得点。完投したエースの塩崎は、初戦で右足首に打球を受けて降板。「けがは関係ありません」と気丈に答えたが、後半は明らかに球威が落ちていた。 広島商は坂出商(香川)との1回戦、エース森田が公式戦初完封となる3―0の勝利。2回戦の天理(奈良)戦では、二回表に失策が重なり3失点。バント失敗や走塁ミスなど、広島商らしからぬプレーが敗因となった。=次回は4日