《ブラジル》世界一のデジタル認証技術で南米に貢献するNECラテンアメリカ社=現地で活躍する日系企業の今
「ブラジルで活躍する日系企業の今」を紹介する本連載の第17回目は、日本電気(NEC)ラテンアメリカ社の田辺靖(やすし)社長に話を聞いた。同社は2011年、中南米6カ国(ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、コロンビア、チリ、ベネズエラ)の現地法人を統括する地域統括会社として設立された。前身は55年前に設立されたNECブラジル社(NEC do Brasil)で、21世紀に入ってからも確かな技術による電気通信および情報技術における付加価値の高いソリューションによって、官民の社会インフラ事業に貢献するエクセレントカンパニーとしての地位を確立している。
ブラジルの通信インフラの基礎を築いたNEC
1968年に設立されたNECブラジル社は、日本の電気通信技術とともにブラジル市場に進出した。会社設立時から2002年まで同社で勤めた宮村秀光さん(78歳)によると、当時のブラジルは州ごとに電話会社があり、直通ダイヤル式ではなく、電話をかける場合は電話会社に申し込んで6、7時間後に回線がつながりようやく話ができるような状況だった。NECが立ち上げた長距離通話システムは即時に電話口で相手と話すことができ、ブラジルにとってはまさに通信改革だった。 1960年代から70年代にかけて長距離通話の南方(サンパウロ州以南の州)回線の整備が行われ、その後ブラジル全土にインフラは広がっていった。「当時は電話設備の工事のために日本から300人くらいが働きに来ていた」と振り返る宮村さん。 現在は通信衛星で電波が送受信される時代だが、ダイヤル式電話が全盛期だったサンパウロ市では、5、6キロ間隔に電話交換局があり、地下には数万本もの線が束ねられた電線網が縦横無尽に張り巡らされていた。 その数万本がやがて数本の光ファイバーに置き換えられ、インターネット時代の到来でもNECが整備したインフラが引き続き活用され、ブラジルは時代に乗り遅れることはなかった。 「表には見えないが、かつて日本から派遣された日本人技術者が設置したインフラの上に今のブラジルの通信システムはある」と、宮村さんはブラジルでNECが果たした役割の大きさについて説く。 1970年代にはカラーテレビ放送やデジタル無線伝送のシステム、80年代にはデジタル交換機、90年代には携帯電話の設備を設置するなど、時代とともに事業も変化を遂げてきた。 2007年からブラジルで始まった地上波デジタルテレビ放送は日本方式が採用され、NECの送信設備が設置された。2014年のサッカーW杯ではスタジアムの統合情報通信技術(ICT)プロジェクトで、セキュリティシステムやスタジアム管理システム、防災システム、大型のスクリーンや数十台規模のデジタルサイネージを構築した。