「裏金」なのに「還付」…自民党裏金問題巡って松尾潔がラジオで批判
「感性は思考なしにはありえない」
朝日新聞の朝刊1面に毎日連載されている「折々のことば」では、大阪大学元総長で哲学者の鷲田清一さんがそのとき気になる、もしくは時代にあった言葉をピックアップしています。昨日(2月18日)はドイツ在住の作家、多和田葉子さんのことばが紹介されていました。 「感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる」 多田さんのエッセイ集の中からの引用です。このことばを受けて鷲田清一先生は「思考もまたセンスや鮮度が問われる。周囲の微細な変化を感知するアンテナのような」と述べています。 まさに微細な変化、微細な言葉の置き換えです。こういったものを感じるためには、やはり普段から「ただ感じる」と思考を停止させるのではなく、思考をずっとアイドリングしておいて、考えることをやめないっていうことが求められます。 もちろん、ストレスフルな現代社会において、考えることのスイッチをオフにする瞬間もあって良いと思うんですが、社会、とりわけ政治のことに関しては、言葉に敏感になりすぎて困ることはないのではないでしょうか。今回のこの裏金をめぐる言葉の置き換えで僕は改めてそう思いましたね。
「きちんと考える人が一番クールです」
「(考えるのではなく)感じる」というのは、マッチョな気分とよくフィットしている言葉で「お前考えすぎだよ。感じるように動けばいいんだよ」みたいなことを言われると、考えるのがダサイみたいに思ってしまいます。僕も若いときにはそう思っていたときがあったんですが、いやいや、きちんと考える人が一番クールです。 そこを常時オフにしている人を見かけるときもあるし、むしろそれを誇りにして「俺は感じるままに生きてきた」と自慢げに語る方もいます。なんとなくロックアーティストっぽいかっこよさがあることは否定しませんが。 社会や、とりわけ政治に対して、僕が繰り返し言ってきている「フェアとは何か?」ということを考えるときには、その前提としての「think」という行為を日常化することが大前提です。そのことをここで改めて最後に言いたいです。