『おむすび』の鍵は地方都市の描き方 脚本・根本ノンジに期待する朝ドラの次なる一手
これまでの朝ドラで街と密接な物語が成功した例は数少ない
これまでの朝ドラで街と密接な物語が成功した例は数少ない。ホームドラマが基本であるうえ、基本的には初期しか大掛かりなロケが行われない、あくまでスタジオのセットで賄うというシステム上、難しいからだ。商店街をセットで作っても、どうしても向こう三軒両隣的なごく狭い地域に限られてしまい、その街が広い世界においてどこに位置し、どのように機能しているかが見えづらく、つねにポツンと一軒家的な気配が漂ってしまう。もっともこれまでは、主人公の家が日本の平均的な家として存在し、そこを定点観測することで、視聴者はそこに自分と自分の家を見るような思いができた。それによって日本のいまを描くことができていたのだろう。 だがいまや、一億中流社会、なにそれおいしいの? である。急速に世の中は多様化し、おしりを叩かれるように多様性を求められるようにもなっていて、もはやひとつの家ではなにひとつ表現できなくなってきた(これまでもふたつ3つ、ほかの家庭も描いてはいるが)。 そこへ来て、平成史を振り返るという企画での「ギャル」文化である。都市部を描かないことには、ギャル文化の表層をすくいとるだけになってしまうのではないかという懸念がある。これから出てくるであろう神戸もまさに都市である。もしも『おむすび』で街とそこに生きる人々を俯瞰して描くことができたら、画期的な朝ドラになるのではないだろうか。 そもそも、昭和36年(1961年)からスタジオを使ってのドラマ制作というシステムがほぼ変わっていないことに驚かざるを得ない。内容を現代に寄り添う以前に、まず行うべきは朝ドラのシステムを見直すことではないだろうか。あるいは開き直って限られたセットでいかにおもしろいドラマを作るかを考えることでもいい。その点、前作『虎に翼』は、日本国憲法に記された平等の概念という人間の頭と心の問題に徹し、珍しく主人公の地元愛がいっさい描かれなかった。新潟編が新潟らしさを出すことに苦労していたことからも地域とドラマをうまく絡めることの難しさを感じさせたが、それ以外は、平等への希求を心の故郷として描いたことはとても画期的であった。何度も使える手ではないから、朝ドラの次なる一手に期待している。 参照 ※ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8f10f6d7056767f8e986a7c114b7904de1e46163
木俣冬