中尾彬さんの遺志で初七日過ぎての発表 妻の池波志乃「本当に眠るように息を引き取りました」
映画やドラマ、バラエティー番組などで幅広く活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが、心不全のため16日に死去していたことを22日、所属事務所が発表した。81歳だった。アクの強い役柄を演じる一方で、首にストールを巻く「ねじねじ」がトレードマークになるなど、親しみやすい人柄でも人気に。妻で女優の池波志乃(69)とは芸能界きってのおしどり夫婦として知られ、10年ほど前から夫婦で“終活”に取り組んでいた。 【写真】中尾彬さん&妻の池波志乃、仲良し夫婦ショット 深みのある低音ボイスに鋭い眼光。強面(こわもて)キャラの一方で「ねじねじ」と呼ばれる独特のファッションが愛され、バラエティー番組でも活躍した中尾さんが逝った。 所属事務所や妻の池波によると、今年に入ってから体調がすぐれず、自宅で療養しながら訪問医の診察を受けることもあったという。5月上旬にはCMの撮影にも参加していたが、15日に容体が急変。翌16日未明に池波にみとられながら生涯を閉じた。 故人の意向で葬儀は池波ら近親者のみでひっそりと執り行われた。初七日が過ぎての発表も中尾さんの遺志。「終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました」とした池波は「16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました」と明かした。 池波は「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ『志乃~』と呼ばれそうな気がします」と、突然の別れへのショックの深さに、まだ信じられない様子。一方で「叶(かな)いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」と努めて明るく呼び掛けた。 2007年3月に急性肺炎と筋肉の痛みなどを生じる「横紋筋融解症」や急性腎不全、肝機能障害、不整脈なども併発し緊急入院。一時は生死の境をさまよったが、奇跡的に復活した。大病をしてからは体調と相談しながら仕事のペースを調整。俳優業は23年のネットフリックス「サンクチュアリ―聖域―」が遺作となった。 中尾さんは日活第5期ニューフェイスに合格し、64年に映画「月曜日のユカ」で主演の加賀まりこの相手役として本格デビュー。その後も、映画「極道の妻たち」「ゴジラ」シリーズ、ドラマ「暴れん坊将軍」、舞台などで幅広く活躍。近年はバラエティー番組や情報番組での歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで人気を集めた。 一方で、武蔵野美大に入学(中退)し、画家を目指した経験もあるだけに、油絵や日本画は芸能界随一の腕前。仏の絵画展「ル・サロン」でグランプリや国際賞を受賞。個展も定期的に開催していた。 青年時代はプレーボーイとして鳴らし、幾多の女優、歌手とのロマンスが報じられた。20代で女優の茅島成美と結婚したが離婚。78年に池波と再婚した。落語好きだった中尾さんが、親友の古今亭志ん馬に池波の父で兄弟子の金原亭馬生さんを紹介してもらったのがきっかけ。同時期にテレビ朝日系の時代劇「達磨大助事件帳」で池波と共演したことで急接近、ゴールインした。 その後は名実ともに芸能界一のおしどり夫婦に。プライベートは妻との水入らずの時間に費やした。毎日の朝食は、中尾さんが「和食か洋食かは気分で決めたい」と、毎朝リクエスト。晩酌は池波の手料理を肴(さかな)に2時間以上、2人でしっぽりと飲むのが日課で、中尾さんは愛をこめて「居酒屋志乃」と呼んでいた。 また、テレビ番組など公の場で中尾さんが池波を「しの~」と呼ぶ、仲むつまじいやり取りは人気に。結婚37年目の14年には、理想の有名人夫婦に贈られる「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2014」を受賞した。中尾さんは「やっと受賞できた」と喜びを語り、夫婦円満の秘けつを「会話でしょうね。うちはワインを飲みながら2時間でも3時間でもしゃべっていられる」と語っていた。 ◆中尾 彬(なかお・あきら)1942年8月11日、千葉県生まれ。武蔵野美大油絵科在学中に日活ニューフェイスに合格後、仏留学を経て、劇団「民藝」に入団。64年、映画「月曜日のユカ」でデビュー。映画「ゴジラ」「極道の妻たち」など人気シリーズや、98年フジテレビ系「GTO」、2012年「アウトレイジ ビヨンド」などに出演。
報知新聞社