田中熙巳さん渾身の〝挨拶〟 ノーベル平和賞授賞式で
【オスロ=長崎新聞取材班】演説の終盤、田中熙巳さん(92)はひと呼吸置いて、呼びかけた。 「世界中の皆さん」-。訴えたのはいつものメッセージ。 「核兵器と人類は共存できない」 地球市民として核保有国の政策を変える。その実現を担うのは被爆者だけではない。新しい世代に丸投げするのでもない。どこかに暮らす「あなた」と共に変えていきたいという、世界に向けた渾身(こんしん)の“挨拶(あいさつ)”だった。 日本をたった飛行機の中で、田中さんは原稿に赤ペンを走らせていた。考えていたのは抑揚。世界中が注目する演説だけに英語も考えたが、感情を乗せられる日本語を選んだ。2017年に平和賞を受けたICANの国際運営委員、川崎哲さんの助言でもある。日本各地の被爆者が結集した被爆者運動は日本語で語りたい、との思いがあった。 被爆地の広島、長崎だけが注目されることを嫌う。被団協は日本各地に散った被爆者が苦難の中から立ち上がり、核兵器廃絶運動をつくり上げた。その経緯に強くこだわりを持つ。本紙企画の受賞記念横断幕には「全ての被爆者」へ祝福の言葉を贈った。 大きなけがなどがない自らは「被爆者ではない」と思い続けた。だが東北大の研究者だった1970年代から本格的に被団協に携わり、2017年に代表委員となるまで長く事務局長を務めた。「調整役」が性に合うのに、被団協の「顔」となり、演台に立った。 被団協の原点となる1956年結成時の「世界への挨拶」から引用した。〈自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう〉。援護を求めるだけでなく、地球を守ろうと実相を伝えてきた結果、長崎が最後の被爆地であり続けている。“ヒーロー”的な被爆者が成し遂げたものではないと田中さんは考える。しかも核兵器は大量に存在する。 「核兵器をなくすのは『あなた』たちの課題でもあるよ、と世界に伝えたい」 演説前にそう語っていた田中さん。 「世界への挨拶」を終え、少し恥ずかしそうに、会場の参加者と共に手をたたいた。