魅了されたのは「日本を代表する」あの風景…美術家・篠田桃紅が「なにがなんでも」行きたかった場所
「希望どおりにいかないのが現実。だけど思い出は、悲しかったことでも、楽しかったことでも、“ある”ということがとてもいいことだなと思いますね。」自由闊達かつ独創的な筆遣いで植物や天候の移ろい、人の感情を表現し数々の作品を生み出した美術家・篠田桃紅。そんな彼女を育んだ、特異な生い立ちとは。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 大正デモクラシーから震災、空襲を経て現代に渡る自身の生涯をエッセイとともに綴る『これでおしまい』(篠田桃紅著)より一部抜粋してお届けする。 『これおしまい』連載第8回 世界的な美術家・篠田桃紅が「チャンスは作ろうとしても作れない」と確信する「納得の理由」より続く
誰もが目を奪われる風景
活動の場を国内外に広げた篠田桃紅は、長年、随筆も書き続けています。そのなかには、彼女が魅了されてやまないある風景についての一節があります。 ――25歳の時の夏、私は初めて『赤富士』というものを見た。全く驚いた。この世にこのような山があるのか、と思った。それは余りにも大きく、余りにも赤く、また余りにも異様だった。うつくしいけしき、などという次元ではなかった。(中略) 老いに老いた今まで、何十回赤富士を見たか、数えることもできない程見たが、1点の絵も画かず、1枚の写真も、撮ったことがない。童謡に『絵にも描けない美しさ』というのがあるが、あれはシンジツだと思う。――(『うえの』2009年10月より) 彼女の心を最初に惹いたのは、写真のなかにあった富士山の姿でした。それは、長兄・覚太郎が会社の社員旅行で富士五湖に出かけ、暗箱の重い写真機で撮影してきたものでした。
感動の景色を求めて
富士山を目にしたかった彼女は、富士ニューグランドホテルが山中湖畔に開業して間もないことを知り、妹・秀子と夏休みに遊びに出かけます。 「なにがなんでも行きたくて行った。そのときのことは今でもはっきり憶えていますよ。1日に1回か2回の馬車の時刻に合わせて御殿場駅で下りて、そこからは馬車で籠坂峠を上がり下がりしながら、ぐるぐる回って到着した。 草葺き屋根の木造の3階建て、スイス風の素敵な建物でした。夏の避暑地として外国人が過ごしていて、日本は日独伊三国同盟を締結していたから、英米の人はいない。イタリア人かドイツ人の外交官家族ら。あとは浅草のオペラ歌手、政界のフィクサーと言われているような日本人もいた。 グランドピアノが置かれていて、午後には手製の焼き菓子などが振る舞われた。翌日、早朝に起きたら、目の前に大きく真っ赤な山が現れて、びっくりしたの。山中湖畔のカラマツは今でこそ立派な大木ですけど、宝永の大噴火で全焼した名残で、まだ小さかったですよ」 『美術家・篠田桃紅の作品の糧となった「絶景」…大自然と墨絵の「意外な共通点」』に続く
篠田 桃紅(美術家)