世界を変えたフォード 覚えておきたい偉大な名車 49選 後編
フォード・コーセル(1968年)
ブラジル・フォードは、ウィリス・オーバーランドの現地事業を買収したことでコーセルの開発プロジェクトを継承した。1960年代、ウィリスは現地でルノー車を生産しており、ルノー12の技術を利用してコーセルを開発していたのだ。 【写真】欧州市場で愛された「アメ車」たち【欧州フォードによるカプリ/エスコートRSコスワース/フォーカスSTを写真で見る】 (35枚) フォードがコーセルの生みの親というわけではないが、発売後に改良を行い、1977年にはほぼ全面的にデザインを変更した。フォードの努力のおかげで20年近く生産が続けられ、最終的に1986年に販売終了となった。
フォード・カプリ(1969年)
欧州におけるマスタング的な存在で、「いつも自分に約束していたクルマ」という謳い文句を用いたカプリは、実際よりもエキサイティングな外観が特徴的だ。中身は基本的に第2世代のコルチナだが、流麗なクーペボディにより、それ以上のものに見えたのだ。 フォードは、1.3Lのケントから3.0LのエセックスV6まで、実にさまざまなエンジンを用意している。エセックス以上のパフォーマンスを求める南アフリカでは、ヨハネスブルグのバジル・グリーン・モーターズ社が開発した5.0LウィンザーV8を搭載するカプリ・ペラーナという選択肢もあった。
フォード・トリノ・タラデガ(1969年)
トリノ・タラデガはトリノの派生モデルで、1969年初頭にのみ生産された非常に短命なマッスルカーである。スポーツルーフのファストバックボディをベースとし、空力的に有利なリアエンドを備えているが、フォードは空気抵抗をさらに減らすために特別なノーズをあつらえた。 その目的はNASCARで競争力を持たせるためであり、予選通過に十分な台数しか作られなかった。トリノ・タラデガは、同時代の(そしてほぼ同一の)マーキュリー・サイクロン・スポイラーIIとともに、この目的のために設計された4台のエアロ・ウォリアーのうちの1台だ。その効果は絶大であったため、必然的に当局によって足を引っ張られ、完全に禁止された(モータースポーツではよくあること)。
フォード・エスコートRS1600(1970年)
RS1600が初代エスコートの究極形態であることに疑問の余地はない。英エセックス州のフォード・アドバンスト・ビークルズ・オペレーションで作られるコスワースBDAエンジンを搭載しており、このエンジンは1.6Lクロスフロー式ケントのボトムエンドに16Vツインオーバーヘッドカムを載せたものだ。 BDAは標準で120psを発生するが、秘めたる潜在能力は数字では語れない。RS1600はラリーでフォードの主力となったほか、サーキットでも抜群の成績を収めた。