山形をJ1昇格させた「フィジテク」
胴上げされる気配を察したモンテディオ山形の石崎信弘監督が、歓喜の輪から逃げ出そうとする。 「6位で胴上げですからね。もう恥ずかしくて。昨日のガンバみたいに、優勝して胴上げならいいんですけど。派手なことは苦手なので……」 56歳の指揮官は観念した。7日に味の素スタジアムで行われたJ1昇格プレーオフ決勝でジェフユナイテッド千葉を1対0で退けて、4シーズンぶりとなるJ1復帰を決めてから数十分後。リーグ戦6位からの下剋上へモンテディオを導いた指揮官を、選手たちは感謝の思いを込めて真っ先に胴上げした。 石崎監督の“闘い”が幕を開けたのは、ちょうど1年前だった。中国・杭州緑城のU‐18チームの監督を退任し、帰国した直後にモンテディオから監督就任へのオファーを受けた。 モンテディオの前身であるNEC山形で1995年に監督業をスタートさせ、4シーズンをかけてJ2参入を狙えるレベルにまで引き上げた。16年ぶりに戻ってきた原点の地。JR山形駅前にモンテディオの旗がなびき、行き来する車にはチームのステッカーが貼られている光景に心を震わせた。 しかし、シーズンオフに入る直前に練習を指揮した2週間で、モンテディオに根本的な部分が欠けていることに気づかされた。 「止める、蹴るといった基本を含めた部分でレベルが高いチームだと思いましたけど、走る、頑張る、ディフェンスをするという部分で自分がいままで見てきたチームよりも劣るかなと」 モンテディオは2012年から戦いの舞台をJ2に移していた。奥野僚右監督の元で戦った2シーズンはともに10位。シーズン終盤に昇格争いに加わることできず、必然的に緊張感を欠いた戦いを続けてきた中で、根幹をなす戦う姿勢を選手たちは忘れかけていた。 中国へ渡るまでに7つのJクラブを指揮し、柏レイソルとコンサドーレ札幌をJ1へ昇格させた実績を持つ石崎監督は、異国の地で自身の方法論が正しかったとあらためて手応えをつかんでいた。 「中国の子どもたちは本当に下手くそで、どうなるかと思ったけど、とにかく走らせまくった。彼らは富裕層で、最初の頃は『こんなこと、やったことがない』という感じだったけど、やがては結果が伴いはじめ、中国全土の大会で18歳以下のカテゴリーで2位になった。文化や言葉が違っても真摯な気持ちで接して、気持ちが通じ合えば問題ない。山形では言葉も通じるから、大丈夫だろうと思っていたんですけど」 フィジカルとテクニックの基礎的なメニューを織り交ぜながら個々の能力を伸ばす石崎監督の指導は、その独特さから「フィジテク」と呼ばれる。その極意を、こう語ったことがある。 「わたしの練習のテーマは、ボールを使ってどれだけ走れるか。ゲーム形式を多くして楽しくやらせながら、走れないと勝てないような形でやらせる」 全体練習を午前中に行い、午後には25歳以下の選手を対象としてメニューを組む。参加するかしないかは任意だったが、これまで指揮したチームでは若手はもちろんのこと、中堅や若手の選手が参加することも珍しくなかった。 年が明けて、シーズン開幕へ向けた本格的な練習を始まった。二部練習も積極的に組んだが、午後の部のグラウンドは人数がまばらな状況になることが多かった。クラブハウス内のボードに、石崎監督は午後の部の目的を「理不尽」と書き込んだ。 「それくらい過酷なメニューを課すよ、という意味でね(笑)。選手たちの選択に任せていたけど、積極的に出てくるやはり選手が少なかったですね。わしは選手たちがサッカーに取り組む姿勢を何よりも大事にしてきた。いま以上になるためにわしの練習が必要なんだと理解してほしかったけど、受け入れられる選手とそうではない選手がいましたよね」