「満身創痍だったのだと思います」旧友も心配する美智子さまのご体調と“隠遁”生活3か月の理由
旧友も不安視する美智子さまの体調
末盛さんも美智子さまのご体調を心配しているといい、 「私も83歳になり、時には補聴器をつけているのですが、美智子さまも補聴器を使っていらっしゃるようで、日常生活を送るだけでも大変でいらっしゃると思います。私が新著を出版する際、美智子さまにお送りしたいと思うのですが、“お読みになるのが大変なのでは”と逡巡しています。 このお正月、能登半島地震の被災者を大変心配していらっしゃるだろうと思ったので、そのことも兼ねてお手紙を書きました。悲しみのさなかで、お気を使わせてしまうと申し訳ないので、“お返事はお気になさらないように”とひと言添えてお送りしました」 元日に発生した能登半島地震も、美智子さまがお出ましにならない理由の一つなのかもしれない。 「被災状況にひどく心を痛められたようで、被災者を慮って外出を控えていらっしゃるそうです。平成に入った直後の'91年、長崎県の雲仙普賢岳で噴火が発生。上皇ご夫妻は約1か月後に被災地を訪れ、避難所や仮設住宅を回って被災者を励まされました。靴を脱いで膝をつき、被災者と同じ目線で言葉を交わされる“平成流”の始まりともいわれています。 ほかにも、国内で起こった自然災害の被災地にはたびたび訪問され、心を砕かれています。今回も能登への思いは募っていると思いますが、天皇、皇后両陛下が被災地を訪れることが先だとお考えなのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
美智子さまが、お出ましにならない理由
常に国民に心を寄せられている美智子さまが、お出ましにならない理由はほかにもあると話すのは、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉さん。 「コロナ禍が収束し、外出が可能になったころ、各メディアが上皇ご夫妻の近況を報じると、ネット上では《上皇ご夫妻って引退した人でしょ》とか《美智子さまは目立ちたがり屋だな》など、心ない言葉が散見されました。 逆にお出ましが減ると、批判的な意見も少なくなる印象なので、そうした意味でも外出を控えている可能性はあります。以前は批判的な意見があったとしても、はね返すほどの気力があったと思いますが、今はそこまでの体力がないのかもしれません」(河西准教授、以下同) 美智子さまのご体調が回復する糸口は、“国民と触れ合うこと”だという。 「美智子さまが皇后だった時代、週刊誌報道をきっかけにした誹謗中傷を受けて倒れてしまったり、『失声症』になったことがありました。しかし、そうした精神的につらい時期にも、“被災地には変わらず訪問し、心を寄せる”という姿勢でいらっしゃいました。被災者と触れ合い、被災者が喜んでくれることで、逆に美智子さまも救われている部分があったのでしょう。“国民に求められている”と認識することが、いちばんの回復材料だったのだと思います」 美智子さまの“隠遁生活”が始まって3か月。国民がまた、お姿を拝見できる日はいつになるのだろうか。 「やはり国民が自分たちを求め、訪問先で歓迎してくれることが美智子さまにとって喜ばしいことなのだと思います。しかし、令和の時代となり、お出ましの機会が減る中で、外出すると誹謗中傷を受けてしまう悪循環になっており、美智子さまの“大きな活力の源”が失われているのかもしれません」 “負のスパイラル”に陥っている美智子さま。早くお元気な姿を見たいという国民の思いは、はたして届いているのだろうか。 河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程』など著書多数