神社存亡の危機はZ世代に届くか 「らしくない」ポスターで全国の護国神社がキャンペーン
「護国という名を使わず浦安会と名乗ったのが今の全国護国神社会の始まり。神社を残すために護国神社の名を捨て別の名に変え、軍人の宮司を退かせたり、祭神に警察官や消防士の殉職者を加えたところもあった」
沖縄県護国神社は沖縄戦で亡くなった住民、本土出身の戦没者も含まれる。広島護国神社は原爆の犠牲者となった勤労奉仕中の学徒や女子挺身隊などもまつる。占領が終わり主権を回復すると、名称を護国神社に戻し、空襲で破壊された神社も復興をとげていった。
国に代わって神社を支えたのは戦没者の戦友や遺族らによる奉賛会だった。しかし戦後60年を過ぎたころから、戦友もなくなり、遺族も高齢化。次世代への継承も難しくなった。
護国神社を代表する「みたま祭」で、個人、企業・団体からの寄付を示すちょうちんの数が目に見えて減っている。
泉会長が宮司を務める兵庫県姫路護国神社でも、お正月に寄付で境内に提燈を飾る「新年万燈祭」で、2600個あった提燈が2千個にまで減った。
インターネット上ではクラウドファンディングで寄付を募る神社もあるが、目標額に達せず苦戦するところもある。社殿の修理や境内の整備もままならず持続可能な神社経営が課題だ。
泉会長は「首相の靖国参拝が問題視され、マスコミに大きく取り上げられると、自治体の首長も参拝を避ける。護国神社の負のイメージが強化され、参拝者の足を遠ざけることになる」とも話していた。
■見えた光明
しかし終戦80年を前に光明も見えてきた。
「近年、戦後レジームの負の遺産を受け継がない若者たちが、境内に目立つようになった」というのだ。
護国神社の起源は幕末から明治維新にかけての戦いで亡くなった人をまつった招魂社。日清戦争、日露戦争以降、先の大戦まで246万人を超える戦没者がいる。
「家系をたどるとどこかでその先祖にたどり着く。ある意味、国民すべてが遺族ともいえる」
泉会長はパリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が帰国後「特攻資料館に行ってみたい」と発言したことにも言及した。