今泉力哉 監督が語る 今まで手がけてきた作品と共通する部分があるから面白いものができると思って参加した『からかい上手の高木さん』
孤独や寂しさにも寄り添えるのが映画の魅力
池ノ辺 小さい頃から映画監督になりたいと思っていたんですか。 今泉 高校生の時から映画監督になりたいとは思っていて、それ以外になりたいものはなかったです。 池ノ辺 どうして映画監督になりたいと思ったんですか。 今泉 他の職業の場合もそうだと思うんですが、皆さんは、そういうのにはっきりした理由ってあるんですかね。自分では気がついたら勝手に惹かれてたという感じなんです。はっきりと映画作りというものを意識したのは大学を選ぶ時です。高校はどちらかといえば進学校だったんですけど、大学に行ってまで、そういう、いわゆる「勉強」はしたくなかったというのもありました。 池ノ辺 でも大学を出てすぐに映画監督の道に入ったわけではないんですよね。 今泉 一度挫折したんです。大学の卒業制作で映画を作って、先輩や後輩の映画と一緒に上映されたのを観た時に、自分には映画監督は無理だと思ってしまったんです。 池ノ辺 なぜそう思ったんですか。 今泉 自分の映画だけホームビデオのようで、音も画も他の作品より劣って見えたんです。それで一度離れて大阪にある吉本の芸人学校(大阪NSC)に行きました。 池ノ辺 なぜお笑いに? 今泉 そもそもテレビっ子でしたからお笑いも好きで、当時は出たがりでもあって、シナリオ学校に行くか吉本に行くか迷ったんです。でもシナリオ学校はちょっと真面目すぎるかなと思って吉本に行きました。そこでは、ネタとして書いたものを添削してもらって、発表する場があって意見がもらえるんです。それで在学中に何か評価されるようなことが起きない限り、1年でやめると決めて、その後は普通に就職することも考えていました。親にもそう話して行かせてもらったんです。そこで講師の方にネタを見せたら、「君はお笑いじゃなくて物語がやりたいんでしょ」と言われて。物語の側では評価される部分もあった。ちょうど同じ頃、映画館で『ジョゼと虎と魚たち』(2003)を観たりして、映画ってやっぱりすごい、やっぱり映画がやりたい、そう思って最後の覚悟を決めて上京して、映画学校に行き直しました。 池ノ辺 そこから映画監督として映画を作って、賞ももらって、今回は東宝配給で大きな劇場でかかる。最初の夢が叶いましたね。そんな今泉監督にとって、映画ってなんですか。 今泉 まずは、本当にただ好きなものです。映像とのふれあいで言うと、最初はテレビっ子でバラエティ番組やクイズ番組が好きで、映画との出会いはおじいちゃんによく映画館に連れて行ってもらっていたのが原体験です。そのうち近くにレンタルビデオ屋さんができて、気がついたら、小中高校生時代に、一番触れていたのが映画でした。 今、作り手の立場として考えてみると、1人では作れないものをみんなで作るというのが映画の大きな魅力です。もともと美術の成績も悪いし才能もないと思っていて、芸術系の大学に行くと言ったら友達は皆「え?力哉が芸術系に行くの?」という感じでしたから(笑)。絵を描くのは好きなんですが下手ですし、撮影の技術の知識もない。でも、いろんな人が持っている力を持ち寄って一つのものを作れる、それがすごく魅力的なんです。 池ノ辺 表現する場所でもありますよね。 今泉 そう、表現ということで言えば、舞台とか音楽とかいろいろある中で、なぜ映画なのだろう、映画に惹かれるのだろう、と最近考えたことがあって。孤独とか寂しさ、そうしたものとの距離が一番近いのが映画なんじゃないかと。例えば演劇や音楽のライブなら、目の前で人が演奏して演じて、向こうからも客席が見られて、ある種の緊張感がある。寝ちゃったら見られるなとか(笑)。でも映画なら、暗闇だから、寝ても、人付き合いが苦手で1人が好きな人でも、気にせずに楽しめる娯楽じゃないかと思ったんです。なんか、映画って優しいんですよね。そこがちょうどいいんです。 池ノ辺 この作品もそんなふうに劇場で楽しんでもらえたらいいですね。絶対泣きますよ(笑)。 今泉 泣く人もいれば笑う人もいる、お客さんの感想が、いろいろにバラけたらいいな、面白いなと(笑)。観る人それぞれがそれぞれの思いで観てくれて、そして自分ごとになったらいいなと思います。
インタビュー / 池ノ辺直子 文・構成 / 佐々木尚絵