「燃える闘魂」「炎の飛龍」「革命戦士」…かつてレスラーの〝キャッチコピー〟は名作ぞろいだった 実は私が「四天王」を命名
【今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】 「燃える闘魂」「炎の飛龍」「革命戦士」「狂虎」「不沈艦」「超獣」「千の顔を持つ男」…プロレス史を飾る名レスラーのキャッチコピーは名作ぞろい。選手の個性を言い当て、その雄姿や名勝負が浮かび上がってくる。聞いただけでワクワクする。実は1990年代に全日本プロレスに黄金時代をもたらした三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太の4人を「四天王」と名付けたのは私である。 93年5月20、21日の北海道・札幌2連戦。初日は三沢光晴、小橋建太組vs元世界タッグ王者スタン・ハンセン、ダニー・スパイビー組。小橋がスパイビーにフォール勝ち。メーンイベントはコンビを結成したばかりの川田利明、田上明組が世界タッグ王者のテリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムス組からベルトを奪取した。 幸先よく雄たけびを上げた4人は続く2日目、4大シングルマッチに臨んだ。田上vsスパイビー、小橋vsゴディ、川田vsウイリアムス、そして三冠ヘビー級王者・三沢はハンセンの挑戦を受けて立ち、強力な外国人軍団を完封。勢い込んで「四天王時代到来」をテーマに記事を書いた。熱い想いを乗せたペンが進んだ。あの時の高揚した胸の内を30年以上たった今でも思い出す。翌日の紙面で大見出しにもなった。 それに目を通した当時、日本テレビの全日本プロレス中継を担当していた若林健治アナウンサーが実況に入れ込んでいた。徐々に「四天王プロレス」はファンの間にも浸透し、ほどなくして定着していく。後々、専門誌の記者がこの間のいきさつを著書の中で書いてくれた。うれしい限りだった。 新日本プロレスに誕生した長州力やアニマル浜口らの「維新軍」にも関わっている。彼らが走り出して間もなく、明治維新の胎動の地である山口県萩市で大会が開催された。大会前に萩市内にある吉田松陰が開いた松下村塾を訪ねていた余韻のままに、記事中に「維新軍~」と使った。これがきっかけだった。 いつの間にか「プロレス王」になった鈴木みのるは「世界一性格の悪い男」と命名。現場記者が「日本一性格の悪い男」と送稿してきたが当時、デスクだった私は「日本一はまだまだだな。『世界一性格の悪い男』にする」と赤字を入れた。