最高のドイツ人選手で最もドイツ人らしくなかったベッケンバウアーをアルゼンチンの英雄が回想【現地発コラム】
偉大なチャンピオンにして不世出の男にして正真正銘の紳士がこの世を去った
ベッケンバウアーは立ち居振る舞いが常に堂々として落ち着きがあったが、私とすれ違うたびに、頭に手を当てるジェスチャーをしていた。彼との間には、1986年メキシコ・ワールドカップの決勝戦(ベッケンバウアーはドイツの監督、バルダーノは先発フル出場。)という共通の思い出がある。 2点ビハインドから追いついたドイツはその勢いに乗じて攻勢をかける中、フリーだったマラドーナのラストパスから、ホルヘ・ブルチャガがハラルト・シューマッハーの1対1を制して3-2とアルゼンチンが再び突き放した。 ベッケンバウアーの頭に手を当てるジェスチャーは、ドイツがあの場面、冷静さを持ってプレーしていれば、延長戦で追い越していたという意思表示だった。大げさになる必要はないと思うが、幸いなことにサッカーには反証というものがない。 むしろ、このエピソードを通して私が強調したいのは、ベッケンバウアーの勝利への飽くなき執念だ。選手としても監督としてもW杯を制覇し、チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)優勝を3度経験した。偉大なチャンピオンにして不世出の男にして正真正銘の紳士がこの世を去った。ベッケンバウアーは不滅の香りを我々に残していった。 文●ホルヘ・バルダーノ 翻訳:下村正幸 【著者プロフィール】 ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。 ※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
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