【西岡徳馬インタビュー】“依頼された仕事は断らない”スタイルの理由「たかが100年くらいの命。一瞬たりともムダにはできない」
強面のヤクザから刑事、真面目な銀行員、ラーメン屋の店主……と、名バイプレーヤーとして、さまざまな活躍を見せる西岡徳馬(徳は旧字体が正式表記)。玉川大学で演劇を学んだのちに文学座に入団。下積みを経て10年の在籍後、退団を決意するが、その後の俳優生活はすぐに変化するものではなかった。現在に至るまでを西岡徳馬に聞いた。【全3回の第3回】 【写真】笑顔で人生の転機を語る西岡徳馬。他、ブルーのジャケットにスカーフを巻くスタイルの西岡徳馬なども
赤いブラジャーと網タイツ姿で舞台に
文学座退団からしばらくして、人生を揺るがす大きな転機が訪れる。 「当時、渋谷に業界の人たちが集まるバーがあってね、そこのオーナーに言われたんです。『德馬ちゃん、あんたはいわば地方議員なの。舞台で人気があっても、ほとんどの人は知らない。どうせやるなら、全国区にならなきゃダメよ』って」(西岡、以下同) その通りだった。「下積み生活をしているという感覚はなかったし、腐りもしなかった」ものの、その言葉は西岡に強烈に刺さり、鼓舞した。 「舞台に限定せず、もっと広げるぞと決意したんです。知ってもらえるためにはテレビ、映像の仕事を増やさなくては、と気づいた」 勝負に打って出た。つかこうへいが、西岡のために書いた舞台『幕末純情伝』(1989年)の初演公演が迫っていた。西岡は3000円のチケットを100人分、自腹で購入し、マスコミ関係者を招待した。沖田総司は女性だったという設定のもと、土方歳三と坂本龍馬が三角関係になるという、つかならではの世界である。ここで西岡は、真っ赤なブラジャーとショーツ、網タイツ姿の龍馬を熱演し、喝采を浴びた。 「あの恰好で、“わしが土佐の坂本龍馬じゃ”ってやるんですから(笑)」 客席に来ていたのが、フジテレビのプロデューサー(当時)、大多亮で、すぐさまドラマ『東京ラブストーリー』に抜擢した。ヒロイン、赤名リカ(鈴木保奈美)と不倫をする上司役を探していた大多から、「彼女を妊娠させておかしくない男性。あなたしかいないです」と、口説かれた。 ドラマは驚異的な視聴率を叩き出し、西岡の名は知れ渡った。幅広い年代に支持されたため、原作にあった不倫して妊娠という設定が変更されたほどであった。以降、映像の世界でも活躍を続ける。遅咲きといわれるが、このとき全国区となる時期が来ていたのだろう。 「僕は若いころから、宿命とか運命とかを考えるんです。宿命は定まったもの、運命は自分の力で動かしていけるもの。あの『幕末~』のとき、エイヤッと、運命を動かしたと思っている」