斎藤元彦氏を見捨て、"無所属の対抗馬"を送り出して大惨敗…兵庫県知事選挙で撃沈した「本当の敗者」の正体
■「次世代のエース」の実態 今からちょうど10年前の2014年衆院選に出馬したときのエピソードも象徴的だ。吉村は「(維新の)次世代のエース」と呼ばれていたが、それは彼が本当に期待されたから……というわけではなく、実際のところは維新逆風、自民優勢という切羽詰まった選挙戦の中で無理やりひねりだしたキャッチフレーズでしかなかった。 そして、現実は消極的なイエスを反映したものとなった。このとき選挙区では、自民党の中山泰秀に8000票差をつけられて敗れている。かろうじて比例で復活当選を果たしたものの、追い風なき戦いの難しさを痛感させられるものだったことは想像に難くないが、逆風でも何かを惹きつける強烈な個性があったわけでもない。 当初は個人としての地盤も人気もなく、選挙に強いわけでもない。 良く言えばどんなことでも「仕事」と割り切ってこなすことができる極めて優秀な実務家だが、悪く言えば政治家として理想や使命感に突き動かされるタイプではなく無個性だ。それはリーダーと呼ぶには、致命的な欠点でもあったが、それでも橋下徹、松井一郎といった維新を立ち上げたオリジナルメンバーは吉村を次世代リーダー候補として育て上げようとした。 ■橋下・松井に認められ後継者に その証左が2015年の大阪市長選挙への出馬だ。当時も党内では実績や経験年数を評価して別の候補者を推す声もあった中で松井は若い吉村を選んだ。彼はわずか1年ほどで国会議員を辞し、首長選に打って出た。 「僕は吉村さんが本命だと思っていました。橋下は人の能力を見る。スペックが大事で、人脈や付き合いは評価の対象にならない。逆に松井さんはじっくりと人間性を見る。本当に維新を裏切ることがないか、周囲を納得させられるかを重視する。二人の条件を最大に満たせるのは吉村さんしかいなかった」 私の取材にこう語ったのは元維新衆院議員の木下智彦である。議員を引退後、ロビイストに転身し、永田町を駆け回る木下は橋下の高校時代の同級生でありラグビー部でもチームメートだった。維新の内部事情や橋下の思考を熟知する人物と言っていいだろう。 後継に選ばれた吉村は大阪市長選に勝利する。その3年4ヶ月後の2019年4月に府知事、市長のダブル選を制し、松井一郎と入れ替わる形で府知事に就任し、新型コロナ禍対応で存在感を示すことになり名前は――悪名もまた――全国区に広がった。 吉村のキャリアをみるとおもしろい事実が浮かび上がる。彼は政界入りしてからの10年間、一度として任期を務めあげることなく、周囲に推される形で4度も立場の異なる選挙戦に出馬しているのだ。初めて任期を全うし、2期目に踏み出した府知事のほうが彼のキャリアにとっては珍しいパターンだった。 我が強く自身のキャリアを作ろうというタイプの政治家ならば、こうはいかない。維新という党の戦略、敷いたレールを歩んできたのが吉村という政治家だった。