「もっと芸能界で売れたい」と改名 名前に「濁点」を入れたら「尋常ではないくらい良いコメントが」
「番組史上最強にバカ」
――「有吉反省会」での反応はいかがでしたか。 「番組史上最強にバカ」「面白すぎたので許す」と全員が合格をくれました。視聴者さんは心の扉を開いてくれた感じがしました。 ――では、改名してよかったと。 改名してよかったです。その後も、改名の話を知った芸能人の方が、テレビやラジオでお話をしてくれました。ただ、三画から五画に改名するのは、「が」だけでなく、「加」「叶」「可」などの漢字もあることが、後から調べてわかったんです。その漢字たち、私が辞書で見た時は、確か六画だった気がしたのですが……(笑)。 ――親からは何か言われましたか。 親は普通に笑っていました。普段からすごく仲良しで、頻繁に会うし、電話もします。 私が「がおり」になろうと「かおり」になろうと、どちらでもいい感じでした。両親は昔から、テレビに出る時には「見てね」と言うんですが、次の日に聞くと「寝ちゃって見られなかった」と言うくらい、サバサバした家族なんです。 ――改名して仕事は増えましたか。 「有吉反省会」にも出させていただきましたし、話題にもなったし仕事も増えました。 ――44、45歳の時にはレースクイーンにも挑戦されています。 3、4年前のことです。実は8年ぐらい前から、レースクイーンをやってみたかったんです。既にやってそうに見えるかもしれませんが、これまで、やったことがありませんでした。 ――どのようにアプローチしたのでしょうか。 レーシングドライバーの脇坂寿一選手と仲良くしていただいていて、「レースクイーンをやりたい」と伝えていました。脇坂選手からは「俺が監督になったらね」と言われていて、毎年、「すいません、まだ監督にならないですか」と聞いていたんです。それで、とうとう脇坂選手が監督するタイミングがあって、念願かなってやらせてもらいました。
レースクイーン「やりたい」
――脇坂選手からは何か言われましたか。 私はずっと「やりたい」と言っていたんですが 、「大原ちゃん、ホンマに言ってるの。冗談かと思っていたけど、本気だったんだ」とびっくりされました。8年くらい言い続けていました。 ――すごいですね。 これも少しふざけていたところがあって、笑いを取りたかったんですよね。「いやいや、その歳で」というツッコミが入ると思っていたんです。 ――どのような反応でしたか。 ヤフーコメントを書く人たちに許してもらえないと思っていましたが、コメントを見たら、「45歳になって夢に向かっている姿に感動した」という声が多かったんです。ちょうど同じタイミングで、プロ野球の新庄剛志選手が現役復帰を目指していて、「新庄もすごいけど、大原も頑張っている」と言ってもらいました。 ――いい反応ですね。 いや、新庄選手と並べたらダメでしょうと(笑)。でも、コメントの98%が「感動しました」「俺も夢に向かって頑張ろうと思わされた」「これからも頑張れ」と応援してくれるメッセージでした。 ――レースクイーン自体はいかがでしたか。 めちゃくちゃ楽しくて刺激的でした。ただ、ポージングを続けるのは、腰が痛くて……。帰りにトイレに行く際も、腰が痛くて、腰を曲げた状態で行ったりしました。これはやっぱり若い子がやる仕事だなと思いましたね(笑)。 第6回では、胸の大きさに思い悩んだ中学、高校時代を振り返る。 ■大原がおり 1976年、東京都八王子市出身。1997年、3代目ミニスカポリスに就任。CM、バラエティ番組などで活躍する。2005年、ドッググッズブランド「Otty(オッティ)」を設立。 デイリー新潮編集部
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