香りが良くなる焼酎用「木だる蒸留器」設計図はない…脱サラし父に弟子入り、反対されても押し切った理由
「シャーッ、シャーッ」。寒風が吹く年の瀬のある日、鹿児島県曽於市大隅町の山麓にある倉庫で杉板を削る音が響いた。板のそり具合に目を細め、「しょち」と呼ぶ手製の木製工具を当ててわずかなずれを探していく。「よし、ぴったり」。津留安郎さん(62)が満足そうに笑みを浮かべた。 【写真】白金酒造で使用されている木だるの蒸留器
津留さんは、全国でも珍しい焼酎用の木だる蒸留器を作る職人だ。「現代の名工」にも選ばれた父・辰矢さん(2014年に78歳で死去)の後継者。くぎや接着剤を一切使わず、短冊状の杉板を円形に組み、竹を編み込んだ「たが」で締め付けて底を張ると完成する。設計図はなく、まさに職人技だ。
46歳で脱サラし、父に弟子入りした。樹齢80年以上で年輪が詰まった地元の杉の木選びや、木だるの側面となる杉板を並べた時に円形になるよう曲線状に削る練習を繰り返した。木だるは1トンサイズで直径1・5メートル、高さ1・45メートル。通常は33枚の板を並べるが、うまく曲線を描けずに削りすぎて38枚の板を要したことも。父とともに作業したのは4年半ほど。父は「とにかくやってみろ」と言うだけで、見よう見まねで必死に技を覚えた。
32歳の頃、大病を患って入院していた父に一度、「跡を継ぐ」と話したことがあった。だが、この時は「俺の代で終わりだ」と反対された。需要の少ない仕事より、「会社勤めが堅実だ」と諭された。ただ、どこの酒造会社に行っても「津留さん、津留さん」と慕われる父の姿がうらやましかった。
独り立ちした今も、父の頃と同じ数の木だるを県内20近くの酒造会社に納める。約100度の高温にもなる1トンのもろみに耐える木だるだが、伸縮を繰り返す木の性質上、3~5年での取り換えが必要だ。「いい焼酎ができた。次も頼むね」。こう声をかけられるようになり、父と変わらぬ品質を届けられるようになった。
1869年(明治2年)の創業で、県内最古の焼酎蔵である白金酒造(姶良市)も約35年前から津留さん親子が作った木だるを愛用し、芋焼酎「石蔵」を醸造する。6代目の川田庸平社長(43)は「ステンレス製のタンクと違い、蒸留時に二酸化炭素の臭さが木だるの穴から抜けていき、焼酎自体の香りがとても良くなる」と太鼓判を押す。