「突貫工事で費用が倍に」...リニアモーター推進の立役者・葛西敬之が立ち向かった「国鉄改革期」のヤバすぎる愚行
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第7回 『「核武装は必要だ」日本財界の伝説・葛西敬之に影響を与えた意外過ぎる人物の名前』より続く
国鉄改革三人組
葛西敬之は「国鉄改革三人組」の一人と称される。そのプロパーの国鉄エリート3人は三兄弟とも呼ばれた。 1935(昭和10)年4月3日生まれで最も年長の井手正敬が長男、36年1月9日が誕生日の松田昌士が次男、40年10月20日に生まれた葛西は三男とされた。この3人がいなければ国鉄改革はなしえなかった、と彼らを評価する関係者は少なくない。 日本国有鉄道の分割民営化はこの国の政治や経済、社会の構造を根底から変えた。戦前の鉄道省以来、日本の運輸行政に脈々と受け継がれてきた国有鉄道の温存意識からの脱却を試みた急先鋒が、改革三人組だったのは間違いない。
労働問題と累積赤字
その国鉄改革における最大のテーマが労働問題であり、積もりあがった累積赤字だった。国鉄労働組合(国労)はピーク時におよそ50万職員の加入率96%を誇り、産業界全体の春闘を牽引してきた。分割民営化により巨額の負債と職員の雇用が国鉄から切り離されるなか、それが事実上解体される。現在の組合員は1万を割っている。 国労の衰退と歩を合わせて、日本の労働組合運動そのものが退潮の道をたどった。官庁や企業の勤め人たちの労働意識そのものが大きく変化し、いまや官公労の支持を拠り所にしてきた日本社会党(現社民党)は消滅の危機に瀕している。そんな日本社会の変貌のはじまりが、国鉄改革だったといっていい。 反面、図らずも葛西が自著『未完の「国鉄改革」巨大組織の崩壊と再生』(東洋経済新報社)の表題で言いあてているとおり、国鉄の課題はいまだ解決できていない。国鉄の分割民営化後、北海道や四国、九州といった地方の路線や貨物の運営は行き詰まり、昨今はしばしばそれが取り沙汰されるようになっている。分割民営化が本当に正しかったのか、その結論すらいまだ出ていない。 奇しくも葛西は国鉄の大きな転換期に入社した。入社は1963年4月のこと、国鉄が戦後初めて赤字に陥る前年であった。まさに改革とともに歩んだ鉄道人生である。先輩職員の須田寛は、新入社員だった葛西の姿を鮮明に記憶にとどめている。 1931年1月28日に洋画家の須田国太郎の長男として京都に生まれた須田は、京大法学部を卒業後、国鉄に入った。葛西より9つ歳が上であり、当初職場におけるやりとりはさほどなかったようだが、容姿が強く印象に残っているという。