「私が元祖“跳び箱タレント”です!」せんだみつおが語る“コマネチ”売却と激動の芸能人生
大物芸能人たちとの華々しき交友録
テレビやラジオでの露出が減る一方で、せんだ自身の交友関係はむしろふくらんでいった。話術、気配り、礼儀正しさ、正義感……どこを取っても元来“愛されキャラ”である。菅原は言う。 「一つの仕事が終わったら、お礼とフォローはしたほうがいいよと、せんだから何度言われたかわからない。そういうことはついつい事務所に任せちゃうんだけれど、せんだは必ず自分でやるから、誰からも可愛がられる。だからあれだけの人脈ができたんだろうね」 せんだの交遊録は「ナハ! せんだみつおが見上げた昭和の巨星(スター)列伝」のタイトルで『キネマ旬報』に連載されたこともある。今回のインタビュー中も、丹波哲郎、高倉健、萬屋錦之介、仲代達矢、田中邦衛、菅原文太、愛川欽也、松田優作、笠智衆、森繁久彌、八千草薫、大橋巨泉、森進一、千昌夫、アン・ルイス、井上陽水、長嶋茂雄……巨星の名前が滝から流れる水のごとくせんだの口からあふれ出た。 「丹波さんには初対面で“おまえは地獄に落ちる”って言われて、“イヤです、なんとかしてください”って頼んだら、“オレが死んだら必ずおまえを救いに来てやる”って約束してくれたのに、いまだに来てくれません(笑)。 森繁先生とは『水戸黄門』などのドラマで共演させていただいて、たまたま家が近所だったので遊びに行ったら、“手ぶらでウチに来たのはおまえが初めてだ”って言われちゃった、ナハ! 長嶋さんとは月に3回ゴルフに行っていた時期がありました。長嶋さんがOBを打ったとき、ギャラリーもキャディーさんも何も言えずにシーンとしていたら、長嶋さんがひと言、“うーん、ファールですねぇ”って(笑)。 広島カープにいた山本浩二さんとは、縁戚になったんですよ。僕の娘のるかが山本さんの三男と結婚しましてね。 最近、仲よくしているのはモノマネやマジックで活躍している、ほいけんた君。知り合ったころは“おい、ほい!”“はい、せんだ師匠”って呼び合っていたのに、先日会ったときは“せんちゃん”って呼ばれた(笑)。下剋上です、ディス・イズ・ザ・芸能界。彼はものすごい努力家で苦労人だからね、もう僕を飛び越えちゃったかな……」 せんだにしか語れないスターたちとの思い出話の数々。「僕は宝物をもらったと思っていますよ」と言いながら、せんだはこれまで表に出さなかった素顔を見せた。 「僕のプロフィールね、駒澤大学経済学部中退ってことになっているけれど、本当は仏教学部中退なんです。芸能界に学歴はいらないと思って、面倒くさいから訂正しなかった。大学で2年間仏教を学んで、自分の人生で一番役に立ったことは“縁”。“えん”“えにし”“ゆかり”って読みますけど、キャバクラのゆかりちゃんがね(※下ネタ・掲載不可)。 ……で、丹波さんも言っていたけれども、人間は2回死ぬんです。1回目は心臓が止まって死んじゃったとき。2回目は、仏様になってから誰も思い出話をしなくなったとき。だからお墓参りって大事なんですよ。僕がお世話になった大勢の先輩たちの思い出話をするのは、聞いてくれたみなさんの心の中で、いつまでも巨星が美しく輝き続けていてほしいからなんです」 丹波さんが戻ってこなくても、せんだみつおの地獄行きは回避されそうだ―。 はんだ・かおる ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』(NHK出版) <取材・文/伴田 薫>