千葉の名門・亀田総合病院で「創業家一族」が骨肉の争い…!「亀田四兄弟」の知られざる素顔と、母が送った「苦悩の手紙」の中身
創業家に走った激震
千葉県鴨川市の医療法人「鉄蕉会(てっしょうかい)」が運営する亀田総合病院は、浅田次郎の小説「天国までの百マイル」のモデルになった。小説は、心臓病の母の命を救うため、冴えない中年男性が東京から100マイル(約160キロ)離れた天才的外科医が在籍する病院を目指す物語だ。 【一覧】ここに行けば安心…東京・大阪・名古屋・福岡のがん「拠点病院」はこちら! 鉄蕉会は亀田総合病院の他、亀田クリニック、幕張クリニックなど多数の医療機関を持つ。新人医師の研修先として人気があり、上皇の心臓手術を執刀した天野篤氏(元順天堂大大学医学部付属順天堂医院院長)も、かつて亀田総合病院で研修を受け外科医として腕を磨いた。 3月28日、その鉄蕉会に激震が走った。千葉地方裁判所館山支部(谷池厚行裁判官)が鉄蕉会を舞台に起きた亀田一族間の内紛に関し、鉄蕉会側の主張を退ける判決を言い渡したのだ。 内紛の当事者は、亀田グループの創業者一族である亀田家の四兄弟だ。 四兄弟とは、鉄蕉会前理事長の俊忠氏(長男)、現理事長の隆明氏(次男)と、一卵性双生児の信介氏(三男・解任当時、グループの基幹病院の亀田総合病院長)、省吾氏(四男・同じく亀田クリニック院長)。4人とも麻布中学、麻布高校から医大に進学して医師になった。
「四兄弟」の素顔
四兄弟の母の典子氏が亡き夫、亀田俊孝・初代理事長を偲んで書いた「俊孝とわたし」によると、長男の俊忠氏は大学時代から銀座や祇園で遊び、2代目理事長になってからも「あまりに金遣いが荒いことが原因で退任せざるを得なくなった」(関係者)とされる。 また、次男の隆明氏は「もともと病院経営にあまり関心がなく鉄蕉会理事にはなったものの、典子さんに“医者に向いていないので実業家になる”と言ってホテル建設などのビジネスに乗り出し、すべて失敗した。だが俊忠氏の退任により三代目理事長に就任した」(亀田家を良く知る関係者)という。 一方、三男の信介氏は、亀田グループの基幹の亀田総合病院長を長く務め、亀田クリニック院長の四男の省吾氏とともに「亀田グループの医療を支える車の両輪。彼らなくして亀田グループの医療は成り立たないと言われていました」(亀田グループ幹部) 複数の関係者によると、内紛の発端は2020年6月、亀田総合病院長だった信介氏に、隆明氏の長男で副院長の俊明氏が院長交代を打診したことだったとされる。 「2008年に医大を卒業した俊明氏は、臨床経験が浅く専門医の資格も持っていませんでした。それで信介氏は“自分の下でもっと経験を積んでから院長になっても遅くない。時期尚早だ”と交代を断ったのです」(前出と別の関係者)