ゆりあん主演『極悪女王』の監督・白石和彌、師からの言葉を胸に築いたバイオレンスな地位
月1本の映画鑑賞と作品の原点との出合い
1974年、白石は北海道札幌市に生まれ、旭川市で育つ。 小学校2年生のとき、両親が離婚。母子家庭で育った白石はすぐ近くで定食屋を営む祖父母の店をよく訪れた。 「その定食屋が幹線道路に面するバス停の目の前にあったから、映画館の人たちがよくポスターを張りに来て、2枚だけ招待券を置いていくんです。小学生のころから祖母や母に連れられ、月1本くらいのペースでロードショー公開された映画を見に行きました」 これが幼い白石と、映画との出合い。少年野球の傍ら本を読むことも好きで、よく図書館に通った。愛読書はアレクサンドル・デュマの小説『巌窟王』である。 「主人公が無実の罪に陥れられ、監獄に送られてしまう。14年にも及ぶ獄中生活に耐え、脱獄に成功。やがて巨万の富を得て、かつて彼を陥れた者たちへの復讐を果たす。理不尽な理由で閉じ込められた主人公が、緻密な計画のもと、相手を追いつめていく姿が気持ちよくて今も読み返しています」 『巌窟王』。これが映画監督・白石和彌の原点なのか。凄まじい復讐譚は白石作品に通じるものがある。 中学生になると街にレンタルビデオ店がオープン。母の会員証を使って、日本映画を見始めたのもこのころからだ。 「母親にバレないように、日活映画をこっそり見ることもありました。特に好きだったのが、竹田かほり主演の『桃尻娘』シリーズ。ロマンポルノですが、中身はすごく切ない青春映画です」 映画に興味を持った白石は『キネマ旬報』などの映画雑誌を本屋で立ち読みするようになる。しかし興味を持ったのは、俳優のインタビュー記事ではなかった。 「僕が好きだったのは、撮影現場への潜入リポート。黒澤明の助監督の苦労話とか面白くて熱心に読んでいました。何より、毎回お祭り騒ぎをしながら食べていける世界があるなんて、驚きました」 旭川西高校に進学すると、野球少年だった白石がサッカー部の門を叩く。ついにレギュラーになることはなかったが、白石は諦めなかった。 「運動神経は悪くなかったが、高校デビューですから大変だったと思います。やりたいと思ったことは、諦めずに頑張り通す。白石らしい一面が見られました」(長尾さん) その一方、学園祭では段取りを組んで仕切るなど率先してリーダーシップを発揮する。何よりみんなで何かをつくる高揚感がたまらなかった。 映画の世界で働きたい。 そんな思いが白石の中でムクムクと頭をもたげていたのかもしれない。